高校時分の授業では勉強の本筋とは関係のない、まあ、どうでもよいような先生の話の方を意外に覚えていることが多い。
例えば「ゾロアスター教(拝火教)の最高神はアフラ・マズダだから火のように輝く電球に〈マツダ電球〉という名がつけられた」というのもそうだった。
そのため私は最近まで、マツダ電球をつくっていたのは、広島カープのオーナー企業のマツダだと誤解していたが、こちらでは電球は作っておらず、マツダ電球は日本では東芝グループが作っていた。
ただその名前の由来だが、広島の方も創業者の松田重次郎の松田とアフラ・マズダから付けられたものと言うから、わずかではあるが話は接触している。私の誤解も「遠からず」と笑ってもらえないか。
こうして、電球と自動車の違いはあるがアフラ・マズダは極東の仏教国に堂々と名を残している。
先日、興福寺の阿修羅像に関するシンポジュームがあり、そこで「阿修羅の淵源はゾロアスター教のアフラ・マズダだ(マズダ→アシュラ)」と聞いて、上記のことなどを思い出し、なんとなく懐かしい気持ちになった。
さて、仏像というものは仏師が勝手に造形するものでなく、基本的にはお経に書かれているとおりに作られる。
それでいくと、阿修羅は上にあげた左右の手に日輪と月輪を持ち、次の左右の手に弓と矢を持っているという。
そして下の左右の手がどうかが若干論争があるが、シンポジュームではやはり合掌でいいだろうとのことであった(この手は明治期に修復されているのでこういう論争があった)。
なお、それらに関して、興福寺の多川貫主は次のような感想を述べられた。曰く、
「国は仏像を国宝だ重要文化財だと言って大事にしてくれるのはありがたいが、仏像は文化財以前に仏様である。
だから阿修羅像にしても欠損した日輪、月輪などを補ってやりたいがこれがなかなか叶わない」・・と。
なるほどと、私は共感した。
世界遺産の初期、西欧の学者たちは「そのまま何百年と経過したからこその歴史遺産であり、その後の時代の手の入っている木造建築物などは論外だ」と言ってきた。
それを打ち破って先ず法隆寺を世界遺産に登録させたのは日本の関係者の努力の結果だった。
その考え方を仏像に適用できないものだろうか。
私を含め少なくない日本人には少し違和感があるかもしれないが、中国や東南アジアの仏像の多くは今も金ぴかである。
それは信仰が逞しく生きている証拠でもあろう。
それは大いに讃えられるべきことではないだろうか。
さて、阿修羅像を1300年前の当初の姿に復元するのはほんとうに暴挙だろうか。
う~む、なかなかむつかしい。
天平の少年像の眉の皺 (無季)
飛鳥の謎の石像物はゾロアスター教だ!というのは松本清張氏の説。
返信削除ゾロアスター教はけっこう身近にあった。
27日、ユネスコ等が主催するバーミヤン大仏再建の是非を検討する国際会議が東京で始まった。注目したい。
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