2017年8月29日火曜日

親鸞と日本主義

 本を読んでいて高校生の時代を思い出した。
 人生について次から次へと疑問が湧いてきて、読んでも読んでも答に近づかない、あの時代の胸苦しさがよみがえってきた。
 佛教大学在学中であった先輩の勧めで『出家とその弟子』を読んだのもその頃だったが、今はそのタイトルと作者しか記憶に出てこない。私はほんとうに読んだのだろうかとすら混乱する。記憶に出てこないということは、息苦しいまでの私の悩みにその本は全く答えてくれなかったということだろう。
 もし私が、その本を通じて倉田百三に惹かれていたとしたら、もしかしたら私は行動右翼になっていたかもしれないということを今般教えてもらって背筋が少しだけ寒くなった。

   中島岳志著『親鸞と日本主義』(新潮選書)は事前広告の段階で私の心をとらえていた。「これは読んでみなければならない」
 だから発売日である8月24日の9時に書店に電話し、入荷を確認して保管してもらった。
 その第二章が『煩悶とファシズム――倉田百三の大乗的日本主義』で、その章を読みながら前述のような重苦しい感慨を抱いた次第である。

 序章では著者が「なぜこのテーマに惹かれたか」を書いているが、著者同様、私も戦前の超国家主義のイデオロギーでは主に日蓮主義が中心で、親鸞は対極というか、最も遠い位置にあったと思っていた。
 ところが歴史の事実を著者が丹念にひも解くと、あくまでも純粋に親鸞の他力本願を追求する中でファシズムに到達した人々や、マルキストの転向を促すロジックの中で親鸞の教えが果たした役割が明らかに大きく浮かび上がってきた。

 親鸞主義を徹底して追求する中で到達した理論問題と、真と俗の統一に悩んだいわゆる戦時教学の問題はいささか性格を異にする面があるが、歴史の結果は東西両本願寺も戦争に協力・加担したという冷厳な事実である。
 なお、両本願寺は戦後は真摯に反省したし、戦争に加担したのはほとんどの宗派の指導者も五十歩百歩ではなかっただろうか。

 そこには大激論があり懊悩があった。もしその場に私がいたら、「日本主義」に仁王立ちで立ち向かっただろうかと思うとそれほどの自信もない。
 私も、他力本願の思想で戦争に向かう現状を日々肯定し、社会正義に立ち上がった人々を自力思想の迷いと批判しなかっただろうか。わからない。

 現代社会はイデオロギーの流行らない時代である。功利とファッションで「風」が起こっている。
 しかし、戦争は親しい者の死や相手の人殺しが不可避である。
 それが現実味を帯びてきた場合、必然的にそれを肯定する高度なイデオロギーが必要になるだろう。
 戦前が戦前のまま復活しないまでも、よく似たロジックが展開されるに相違ない。
 であれば、少なくない生真面目に悩みぬいた戦前の親鸞主義者がどうしてファシズムに協力、否、牽引していったかの分析・反省は大事なことだろう。
 非常に気分は重いが読みごたえのある一冊であった。ゆっくりと読み返したいと思っている。

    朝顔の落花に飛び去るセセリチョウ

0 件のコメント:

コメントを投稿