2017年8月26日土曜日

折口信夫と盆踊り

 全く今日明日の生活とは何の関係もないことながら、本を読んだりテレビを観ていて「そうか、なるほど!」と叫び出したいほど感激することがある。
 8月14日の「迎え火」の記事で私は、折口信夫(おりくちしのぶ)の説によると、お盆の行事は仏教の行事と古い神事(宮廷祭事から村のしきたりまで)が重なったものである、よって迎え火は神事でいう標山(しめやま)、依代(よりしろ)でもあると書いた。

 折口信夫の『盆踊りと祭屋台と』という論文は詳細かつけっこうな分量があるから要旨をまとめることが困難であるが、興味のある部分を大胆に我流でまとめてしまえば、・・先祖の魂でも八百万の神々でも、それらを招き入れるためには、高い柱のような目標を掲げる必要がある。
 それでも不十分かと不安な人々は、その柱の周りを踊って廻るのである。
 出雲の須佐神社の神事や摂津豊能郡多田の祭礼、住吉踊り、田楽能等々にその痕跡は残っている。
 伊勢の阪の下の踊りは、盆の月夜にも、音頭取りが雨傘を拡げて立つという。ちょっと考えてみると不思議なようであるが、すなわち、これ(雨傘)は花笠であり髯籠(ひげこ)であり、同時に田楽能の傘である・・といったところと理解した。

   大和・生駒谷・平群山中の古い盆踊りを義母から聞いたことは2011・7・16「盆踊りに神仏がいた頃」に書いたが、妻が右のイラストに描いたとおり、新盆の家の前庭に行燈付きの竹を立て、行燈は六角形で切紙を貼って、その周りを踊るというのが盆踊りだった。
 というように、切紙付きの行燈を付けた竹は折口の語る依代そのもののようだった。

 「迎え火」の記事の数日後、観るともなくBSの番組を観ていると、新日本風土記アーカイブスのような短い番組をやっていた。
 後で調べたことを含めて紹介すると、タイトル、サブタイトルは「国東半島のお盆」「江戸時代から続く初盆供養【庭入り】」で、場所は大分県豊後高田市小田原で2015年初放送の再放送だった。

   内容は、初盆の家は先祖の霊が宿るといわれる竹の葉を飾る。色とりどりの竹飾りは先祖が迷わず戻るための道しるべ。竹飾りの下、地区の人たちは老いも若きもひとつになって、初盆を迎える全ての家を一軒一軒めぐり朝まで踊り明かす・・というもので、この限りでは特段に驚く番組ではなかった(折口曰く、七夕の行事とお盆の行事も相当混交しているというのも興味があるが、ひとまず置く)。

   ところがどっこい、その画面をぼんやり観ていて私は驚いた。
 「伊勢の阪の下の盆踊りでは・・」と折口信夫が例に挙げたとおり、ナレーションでは一切触れられていなかったが、そこでは音頭取りが傘をさしていたではないか(乞う別掲写真凝視)。おお!
 折口が説くように、精霊を招くには高く掲げる何かが要ると古人は考えた・・そう解しない限り、これを合理的に解することは困難だろう。
 とりあえずは祖霊は竹飾りに帰ってくるが、さらに念には念で傘をさして迎えるのであろう。
 はたして、祖霊が降り下った傘を通して、そのとき音頭取りの音頭は、追善供養のお経に昇華するのではないだろうかと想像する。
 先に読んでいた折口の難解な論文が消化不良のまま頭の中を巡っていたが、このテレビを観て私は叫び出したいほど感激した。
 興味のないお方には「なんのこっちゃ」という話題で申し訳ない。
 江州音頭、河内音頭、炭坑節等々の盆踊り以前の念仏踊りのことである。

    冗談日記
      (堺市にて)堺市を大阪市みたいに繁栄させたい
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                          維新松井代表

    夏休みもうあとがない地蔵盆

6 件のコメント:

  1.  やっぱい「なんのこっちゃ」という記事になった。
     ただサミュエル・ウルマン(なかにし礼訳)はこう言っている。
     『瞳を輝かせ 未知への旅に惹かれるかぎり 人は青春の最中にある』
     遠ざかる伝統芸の中に先人の思考を発見するのは楽しい。

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  2.  いろんな形で検索をすると、無形文化財「岡山県白石踊り」http://shiraishijima.net/odori4.html、福岡県芦屋町「はねそ(盆踊り)」、鳥取県鳥取市「日置はねそ踊り」などに、音頭取りが番傘をさしていた写真があったり記事があった。

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  3.  鹿児島県の志布志、大分県の佐伯、近いところでは兵庫県の沼島でも番傘をさして音頭をとっていた。「マイクのない時代のスピーカー代わり」という説明も見受けられたが・・・。

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  4. お絵かきおじい2017年8月28日 10:02

    「はねそ踊り」で思い出しました。木曽の須原というところに常勝寺という寺があり石碑には「おらが南木曾で自慢のものは須原跳ね衆と常勝寺」とありよほど盆踊りが盛んであったのでしょうね。ほとんど蒸発しつつある私の記憶ですから保証はいたしませんが、大昔は私も若かったのです、中津川から歩いたのですから。

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  5.  お絵かきおじいさん、コメントありがとうございます。若い頃とはいえ驚きのワンダーフォーゲルですね。何よりもそんな石碑を覚えてらっしゃることにさらに驚きです。
     「はねそ」というものの研究にも興味が惹かれます。ああ忙しい。

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  6.  ひげ親父さんがそのブログ http://usukuchimonndou.blogspot.jp/ で、淡路島の由良の盆踊りを紹介した雑誌「上方」の記事と写真を掲載してくれた。番傘をさしている。
     日々の生活とは何の関係もないかも知れないが、こういう情報交換と検討は非常に楽しい。

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