2017年8月27日日曜日

関東大震災朝鮮人犠牲者と現代の差別主義

   彼の国ではアメリカファーストを掲げた白人至上主義者つまりは人種差別主義者が殺人を犯し、それを大統領が事実上かばう態度をとって、世論の大きな怒りを買っている。

 この国では、朝日新聞の記事によると、東京都の小池百合子知事が、9月1日に市民団体などが毎年催してきた関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に、今年は都知事名の追悼文を送らない方針を決めた。

   1923年の関東大震災時には「朝鮮人が暴動を起こした」といったデマ(流言蜚語)が広がり、多数の朝鮮人らが虐殺されたが、式典ではその犠牲になった人たちも追悼している。

 式典には例年、石原慎太郎元都知事ら歴代知事も知事名で追悼文を寄せてきた。小池氏も昨年、「多くの在日朝鮮人の方々が、言われのない被害を受け、犠牲になられたという事件は、わが国の歴史の中でもまれに見る、誠に痛ましい出来事」などとする追悼文を送っている。

 だが今年は、3月に、都議会で自民党古賀俊昭都議が虐殺の犠牲者数について、主催団体が案内文でも触れている「6千余名」とする説を根拠が希薄などとして問題視し、追悼文送付を見直す必要性を指摘したのに対し、知事は「今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁して見直しを示唆し、その結果今回の中止に至った。

 人数の根拠という枝葉末節にいちゃもんを付けて歴史的事実自身をなきものにしようとするのはヘイト団体(差別と憎悪扇動団体)の常套手段である。
 それに同調して、アメリカファーストならぬ都民ファーストを掲げた知事の今回の行為は見過ごすことができない。都ファの都民の中には「大災害時に再び同じようなことが起こらないか」と怯える在日朝鮮人は含まれていない。それでいいのか。白人至上主義者との相違は何処にあるか。

 関東大震災では、警察、軍隊、自警団によって数千人の朝鮮人が殺害された。他に中国人の犠牲者もいたと言われているが、統計数字などははっきりとは残っていない。
 亀戸警察では労働運動家川合義虎等10名が警察と軍によって殺害されたが、これもしばらくの間は秘密のままだった。

 こういう歴史の抹殺に向けての作業は昨日今日突然起こったものではない。
 2017年4月20日の『砂けぶり二』の記事に書いたとおり、「朝鮮人を殺せ」などと叫んでデモをするヘイト団体や日本会議周辺の右翼の組織的抗議行動と思われる運動によって、内閣府HPにあった関東大震災の記述を含んでいた「災害教訓の継承に関する専門調査会」の報告書が、「内容的に批判の声が多」かったので「削除した」という事件が既にあった。
 自民党古賀俊昭都議の要求はこの潮流の中で出されたものであろう。

 はっきり言おう。
 トランプが「どっちもどっち」と言って事実上人種差別団体を擁護したように、小池都知事は、歴史の修正を謀るヘイト団体の主張を肯定したのである。
 表向きは「都慰霊協会の追悼行事があるから皆慰霊してるではないか」というらしいが、天災事変の被災者と故なく虐殺された人々を「皆」で括るのは論理のすり替えである。

 とまれ、追悼式は墨田区の横網町公園でおこなわれるが、同じ時間に同公園内では、「朝鮮人虐殺」を否定する団体も独自の慰霊祭を予定している。
 その「真実の関東大震災石原町犠牲者慰霊祭」なる集会を予定しているのは、過去に小池知事の講演会などを開催したこともある「そよ風」などの在特会関連グループである。極右である。
 
 歴史に誠実で差別に厳しくありたいと願う人々に問うが、出発したばかりの都政に「是々非々」というなら、民主主義を願う国民は今こそ大きな声で「非」というべきではないだろうか。
 多くの人々がSNSなどでそのことを発信しているが、コメントもせずに読み流していてよいのか。
 否、いつまで小池都政を「是々非々」などと言うつもりだろう。

 4月20日に書いたことだが、戦前から國學院大学で神道を教えていた折口信夫が関東大震災時の朝鮮人虐殺に対して、関東大震災の翌年大正13年に発表した詩「砂けぶり二」は次のとおり抗議している。長いので一部のみ紹介する。


  夜(ヨル)になったー。
 また 蝋燭と流言の夜(ヨル)だ  ・・と、詠い。
 かはゆい子どもがー
  大道で しばって居たっけ
  あの音ー
     帰順民のむくろのー。  ・・と、詠い。
  (初出では)
  おん身らは、誰を殺したと思ふ
  陛下のみ名においてー。
  おそろしい咒文だ。
  陛下万歳 ばあんざあい  ・・と告発していた。

 折口はこうも言っている。
 ・・・大正12年の地震の時、9月4日の夕方こゝを通って、私は下谷・根津の方へむかった。自警団と称する団体の人々が、刀を抜きそばめて私をとり囲んだ。その表情を忘れない。戦争の時にも思ひ出した。戦争の後にも思ひ出した。平らかな生を楽しむ国びとだと思ってゐたが、一旦事があると、あんなにすさみ切ってしまふ。あの時代に値(ア)つて以来といふものは、此国の、わが心ひく優れた顔の女子達を見ても、心をゆるして思ふやうな事が出来なくなってしまった。・・・

 現代人は、戦前の神道家の足元にも及ばないほど鈍感になっていないか。

    静けさや伊賀路の夏の正月堂
 東大寺二月堂の修二会(お水取り)を始めた実忠和尚が創建した国宝正月堂が伊賀にある。
 ここでは二月堂修二会と同様の法要(修正会)が正月(新暦2月)に行われる。

2 件のコメント:

  1.  小池都政に「是々非々」というなら、少なくともこの件については大きな声で「非」というべきではないでしょうか。
     追伸  折口信夫をリスペクトしない「愛国運動」ってなんと薄っぺらいものでしょうか。自称保守の方々もよく考えていただきたい。歴史を直視できない者は夜郎自大です。

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  2.  9月2日付け朝日新聞朝刊によると、『小池氏は会見で、虐殺の有無について認識を問われると、「・・様々な見方があると捉えている」「歴史家がひもとくものだ」と述べた』。
     安倍首相が、15年戦争が侵略であったと認めてきた過去の政府見解について問われた際、「歴史家、専門家に任せるべき」と答えたのと同じだ。
     これは「どっちもどっち」といったトランプ同様、差別を許すメッセージである。
     なお、本文でも触れた政府の中央防災会議の報告書でも、「虐殺という表現が妥当する例が多かった」と書かれているし「犠牲者数は震災の全死者の1~数%」「地震直後の在日朝鮮人らの調査では約6000人などとする数字もある」・・これは朝日記事の横に解説されている。

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