2017年8月2日水曜日

蟋蟀(きりぎりす)

   キリギリスというと百人一首の「きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む」(新古今)が有名で、いずれの解説の本にも「ここでいうキリギリスはコオロギのことである」と書いてある。
 確かに、霜夜にキリギリスはないとは思うが、キリギリスがコオロギの古名であった証拠は、古今和歌集の「秋風に綻(ほころ)びぬらし藤袴(ふじばかま)つづりさせてふきりぎりす鳴く」にはっきりある。
 明らかにこのキリギリスは「綴り刺せと言う」のであるからツヅレサセコオロギのことであり、故にコオロギの古名がキリギリスであったことに私は納得する。

 であればキリギリスは何と呼ばれていたかというとそれはハタオリであった。
 室町時代の謡曲「松虫」に「面白や千種にすだく虫の音も、はた織音のきりはたりちゃう、きりはたりちゃう」と出てくることから、ハタオリの鳴き声は「キリハタチョー」と聞きなされていたというのは日本語の歴史に詳しい山口仲美氏の説である。
 なので、キリハタチョーからキリギリスに変化したというのも大いにうなずける。
 鳴き声がそのまま名前になったのには、ミンミンゼミ、ツクツクホーシなどもある。

 さて、現在のキリギリス・古名ハタオリのことであるが・・・
 私の小さい頃は夏にはキリギリスが売られていた。腕白坊主は自前で捕獲して飼っていた。それは、風鈴や金魚同様夏定番の風物詩だった。
 だから先日からも、近所の空き地で鳴いているキリギリスを捕りに行きたい衝動に駆られていたが、孫も連れずに老人が一人補虫網を持ってうろうろするのもどうかと行動せずにいた。
 するとどうだ、わが家のグリーンカーテンにキリギリスがやってきた。
 グリーンカーテンの裏はスダレと網戸だから、ガラス戸を開けておけば臨場感たるやいうことがない。

 真夜中にクーラーを止めて窓を開け放つと、ほゞ枕もとで一晩中鳴いてくれる。
 近頃は風鈴の音でさえ近所迷惑にならないかと心配するものだが、このキリギリスにクレームは絶対に来ないだろう。
 夢の中で キリハタ チョー キリハタ チョー と聞きなしている。

    きりぎりす熱帯夜てふ文字知らず 

2 件のコメント:

  1.  明治43年尋常小学読本唱歌「蟲のこゑ」の2番に『きりきりきりきり きりぎりす』とあったのが昭和7年新訂尋常小学唱歌では『きりきりきりきり こほろぎや』に「改訂」された。理由は「きりきり鳴くのはコオロギである」「キリギリスは秋の夜長に鳴かない」というものだったらしい。
     しかし、「キリキリキリキリという鳴き声はキリギリスの方が近くないだろうか」「新暦の8月7日前後に立秋が来るからキリギリスも秋の夜長に鳴くといえないか」「確かに他の秋の虫とは少し季節感がズレはするが」と思ったりする。原詩の詩人はいったい今でいうキリギリスかコオロギかどちらを指していたのだろう。
     仮にコオロギだとして、韻を踏むためにあえて古名を使用したのなら、今度は韻を壊した改訂者の詩心が疑われる。はてさて、秋の夜長ではない短夜に私は悩む。

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  2.  謡曲「松虫」の舞台は摂津の国阿倍野の原。ちんちん電車(阪堺電車)で天王寺を出てほどなく「松虫」という電停がある。お能のイメージを探すのが困難な都会のど真ん中である。
     この謡曲の中にも「つずり刺せちょうきりぎりす」の文句がある。

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