2017年8月8日火曜日

愛の反対は無関心

エリ・ヴィーゼル
   「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉がある。
 一般にはマザー・テレサの言葉とされているが、千葉県立中央図書館提供のレファレンス事例詳細では、ノーベル平和賞受賞のアメリカのユダヤ人作家エリ・ヴィーゼルの言葉らしい。
 ただ、マザーテレサの発言記録の中には同趣旨の言葉もあるようだ。
 そして私は、最初に誰が発した言葉であるかどうかの詮索よりも、その指摘している内容が素晴らしいと感じ入っている。

 8月4日に灘中学校・高等学校和田校長の所信を転載したが、「学び舎・中学歴史教科書」を採用したことに対する日本会議周辺の自民党の衆議院議員、同県会議員、産経新聞、will、日本文化チャンネル桜、明るい日本を実現するプロジェクト、日本みつばち隊等の圧力が淡々と報告されている。
 そして、歴史家保坂正康氏の『昭和史のかたち』(岩波新書)第二章「昭和史と正方形ー日本型ファシズ ムの原型ー」の記述と重ねてその差し迫った社会の危うさを指摘されている。

 社会の危うさは官邸や国会だけでなく、このようにあらゆる場面で「草の根」的に広がっている。
 保阪氏の指摘ではないが、それはファシズムに向かう相当進んだ段階と言われている。
 だとすると、「愛の反対は憎しみではなく無関心です」の言葉の持つ意味は大きい。
 ファシズムは、悪い奴らが強引に完成させるのではなく、多くの「無関心」がサポートして仕上がるのだろう。

 偉そうなことは言えない。「無関心」でやり過ごしたいときがないわけではない。
 そう思い、私はSNSを読み、良い情報、良い意見と思われるものには出来るだけシェアしたりコメントしたりするように努めている。
 せめて、「私は無関心で見逃さない」という最低限の意思表示をしようと思う。
 些末なことではあるが、ショートメールなどで情報をいただいた場合は必ず返信しようと思う。けっこう大切なことだと思っている。

    夏の果て迷走嵐の遅さかな

3 件のコメント:

  1.  平和や民主主義の反対はファシズムというよりも無関心だということ。
     テレビが選挙時などの街の声のインタビューで「どうせ誰がなっても一緒でしょ」的な声をことさら放映する罪も大きいと思いませんか。

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  2. 「ヒロシマであった地獄」にコメントしようと思いながら「言葉が足らない」と思われはしないか、などと、言葉に詰まる(実際にはキーボードが打てない)状態がありました。
     無関心ではないのですが・・・猫侍さんに勇気をもらいました。
    ブログがんばって書きます。
     

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  3.  ひげ親父さん、応援ありがとうございます。
     澤地久枝さんが満州でソ連兵にレイプされそうになり、そのトラウマから長い間戦争の話ができなかったとおっしゃっています。私のブログのYさんにしろ澤地さんにしろ戦争経験者の苦しみは想像を絶するものだったのでしょう。そして、自然の摂理で戦争経験者は減っていっております。
     いっぽう、日本会議、ヘイト団体、それらの意向を忖度した芸能人やマスコミからは歴史の修正が図られています。内閣はその先頭に立っています。
     こういう時代に私たちは何ができるでしょうか。
     幸いに現代の私たちはSNSというツールを手に入れています。
     「そんなの自己満足だ」と闘わない人が笑うだろう。
     それでも登っていきましょう。

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