2016年3月6日日曜日

『はとぶえ』の思い出

  少し以前だが朝日新聞の夕刊に「生活綴方(つづりかた)」を全学年で10年間取り組んでいる堺市立安井小学校の話が大きく取り上げられていた。
 「綴方に熱心な学校が残っているのは非常にうれしい」という無着成恭さんの話も載っていた。
 この取り組みは児童文化誌『はとぶえ』のことだと思うのだが、どういう配慮か知らないが記事の中には『はとぶえ』の「はの字」もなかった。まあ、そんなことはどうでもよい。
 『はとぶえ』は堺の小学校の先生方の手によって発刊されている児童文化誌で、創刊はナント1951年・昭和26年、そして65年間毎月発行されている。因みに、昭和26年は無着成恭さんの『山びこ学校』が発刊された年でもある。

 いうまでもないが昭和20年の敗戦によって戦後民主主義がスタートしたが、この価値観の大転換に人々は右往左往した。特にその時代の学校の先生の様子は数々の小説等で記録されている。私が知っているのはそういう記録による。
 志賀直哉が「日本語廃止論」を唱えていたことも後に知った。
 そういう敗戦からわずか10年しか経っていない頃、私は堺市立の小学校の児童になっていた。

 で、教えてもらったのが「生活綴方」だった。当時はそんな言葉は知らなかったが。
 少なくない先生に大きな影響を受けたが、そこで私が学んだことは、口語体を文字にしろ、常套句を使うな、定型や美文調は嘘っぽい、漢字や漢文調でカッコをつけるなであった。それらは戦前の社会を支えた文化だということだった。
 お察しのとおり、そういう戦後教育の混乱の歴史の生き証人のようにして今日の私がある。
 こうして非常に文章力の低劣な現在の私があるのだが、本人はまあ、あまり悔いてはいない。

 60年ほど前に詩を度々『はとぶえ』に載せてもらい、そのときに戴いた「素直に書けてるところがええねん」という当時の先生の「褒めて伸ばす」指導に悪乗りして今に至った。
 朝日新聞の記事を読んで、懐かしい昔を思い出した。
 ただ、自分の能力や努力の足りないところを人(先生)のせいにするつもりはないが、口語体散文で60年間来たものだから、俳句や短歌にからっきし弱いというのが哀しい。

5 件のコメント:

  1. お絵かき爺い2016年3月6日 11:47

    綴方ですか、思い出してもぞっとします。文章を綴るなんてとてもできない御幼少でありましたから。

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  2.  ここに書いたように、文章を作る技術を習わなかったというよりも「文章力というのは不誠実で良くないことだ」と思い込んだ上に悪筆であったのでこんなになってしまいました。
     ただし、後者の問題はワープロができて解消されましたので、今では基本、ありのままに話し言葉でこんなブログを書くのが余り苦にならなくなっています。
     そういう意味では「はとぶえ」のおかげです。生活綴方のおかげです。

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  3. 私の文章に関する苦い思い出は、中学1年生のとき、映画鑑賞の後の感想文を書く授業がありました。その映画の内容は、悪い事をした女生徒をクラスの仲間たちが諭し、みんなが肩を組むラストシーンでチャンチャン、という文部省推薦の映画だったように記憶しています。ただ、あまりにもみんな良い子過ぎて私は白けていたのですが、いざ感想文を書く段になって当たり障りのない感想文を書いてしまいました。その後、感想文を見た先生が「どいつもこいつも当たり障りのない感想文ばっかりだ」と怒りまくってました。思ったまま書かなかったことを後悔したことでした。

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  4.  ひげ親父さんのコメントは非常に愉快です。当たり障りのない映画を観させておいて個性的な感想文を期待する方が無理でしょう。

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  5.  このブログを貼りつけたフェースブックに、K先生から次の様にコメントを戴いた。転載しても許してもらえるだろう。
     ・・・目にとめていただき、うれしいです。でも、生活綴り方と「はとぶえ」はちょっと違います。私達は、生活作文を書き、読みあうことで、子ども達がくらしや仲間・地域に目を向け、子どもが自分を見つめ、教師が子どもを理解し、学級通信や文集で交流して、仲間づくりをすすめてきました。
     「はとぶえ」に掲載されることには熱心でも、生活綴り方の考えをもっていない先生もおられます。  
     安井小学校は、学校ぐるみで生活と地域の課題にこたえるすばらしい実践です。安村さんがすばらしいことと、それだけ地域の願いが強く、校長先生等がともにがんばってこられたということです。 
     記事も写真もすばらしいけれど、今ごろ無着さんに絶滅危惧種みたいにコメントをしてもらったのは残念でした。   
     堺のN先生や、大阪作文の会はTさんを中心に若い先生等もがんばっています。
     ・・・・ということで、私が「はとぶえ」全体を生活綴方の一分野だと理解したのは正確ではないようだ。
     ただ、その当時私が受けた授業の姿勢は生活綴方の考えにのっとっていたものだと思う。K先生、ありがとうございました。

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