2016年3月20日日曜日

共生のいのち輝け 上田正昭

  大和西大寺駅の南に、私が頻繁に通行している道路から秋篠川をはさんで真宗大谷派の本照寺が見えるのだが、そのお寺は、何といってもその大きな看板が特徴で、そこには、山川も草木も人も共生のいのち輝け新しき世に 上田正昭 と書かれている。

 私は通るたびに、「きっと、あの上田正昭先生の歌だろう」と妻に言っていたのだが、「確か先生は京都の古社の神主さんだったはずだから、お寺さんがこんなに大きく書き出すだろうか」とも首を捻っていた。
 今般、各紙に追悼記事があったが、そこに「2001年の歌会始の召人としての作品」としてこの歌が出ていたので、「やっぱり」と安心したが、そうであればこの大看板を作った本照寺の「おっさん」に今度は興味が湧くが、まだ尋ねてはいない。

 元に戻って上田正昭氏だが、著名な古代史家である。
 この年代の古代史家におおむね共通している傾向でもあるが、氏の第一論文集『日本古代国家成立史の研究』の「あとがき」に、次のような立ち位置が宣言されていた。
 ・・・・・第二次世界大戦の最中に國学院大学専門部に入り、戦後の混乱期に学窓をでた自分としては、日本歴史の研究にたち向かう場合に、どうしても天皇制の問題をさけて論文を書くことはできなかった。
 (略)敗戦の詔勅が発布されて、冷厳なる日本の現実をまざまざとみせつけられた私は、しばらく茫然としてなすことを知らず、故郷に帰って百姓をしたりして日々をすごしていたが、常に日本天皇制の謎がしこりとなって離れなかった。その謎を少しでも学問的に明らかにしてみたいという欲求が、復学を決心させる要因のひとつであったことは否定できない。

  また1991年に刊行された『日本の神話を考える』の「付録 神話と教育」では、
 ・・・・・古事記と日本書紀が、日本の古典の中の白眉であることは、だれもが認めるところであろう。しかしこれを「神典」視し、(略)記紀神話イコール歴史、とみなすような考え方に同調するわけにはいかない。
 (略)神話を教育の場で、科学的・実証的に学習することを軽視すべきでない。しかし書かれた神話の虚と実をみきわめ、記録された神話の実相を把握せずに、不用意に神話を教育でとりあげるならば、かつてのいわゆる「皇国史観」のもとでの、いつかきた道をくりかえすことになりかねない。

  ブログという分量で上田史学を語るのは不可能なのでこれで閉じて、しばし手持ちの著書を読み返して楽しみたい。
 写真として掲載した著書も私の好きな本で、何よりも標題のとおり視野が格段に広い。
  ただし、上田史学の各論については納得していない箇所も少なくない。
 それでも、先に引用した姿勢など、教えられるところは非常に多い。

 戦後古代史や考古学を牽引されてきた先生方には強烈な皇国史観への反省や批判かあるが、そういう世代が順に逝かれるようでほんとうにに寂しい。
 そういう中で私が輝いて見えている学者は小笠原好彦先生で遠くなく出版されるであろう大和の古代史を楽しみにしている。

  山川も草木も人も共生のいのち輝け新しき世に 上田正昭先生がこの歌を詠まれてから10年後にフクシマの事故が起こった。

2 件のコメント:

  1. なぜかしらこのブログに到着し、上田正昭先生の歌にも突き当たりました。3年前のその折、はがきで気持ちを記述したものを送りましたのが以下の文案です。お笑いください。

    以前、突然の失礼な(確か坊守の珠子?さまだったか)お葉書を出した大和郡山在住の三條墨麗です。
    そのきっかけは、今もどっしりと構えている本照寺内建造物の白壁に「山川も 草木も人も共生の いのち輝け 新しき世に」の歌でした。
     長寿であられる私の尊敬する日野原重明さんに続いて、上田先生もせめて百歳まではご生存いただきたいと願っていた一人ではありましたが、その先生が13日にご自宅で逝去されたとのこと、88歳だったとあります。
     で本題です。
     あの召人を務められた上田先生の宮中歌会始の歌はどうなるのでしょうか。ほぼ毎日のウォーキング途中の秋篠川堤防から読める「山川も 草木も人も共生の いのち輝け 新しき世に」の歌。
    生者必滅は世の習いと申しますが、上田先生もその短かった生に終わりを告げられ、還らぬ人となってしまいましたが、今もインターネットで「本照寺」を検索しますと、白壁に墨痕鮮やかな歌を記した佇まいが読み取れます(但し、ご住職のお名前の欄が空白で、「ただ今準備中です」とあり、少し気になるのですが・・・・)。
    その白壁が果たして今後どうなるのか、これとて生者必滅で、私の心の支えであった歌は消え去るのみなのでしょうか、これが私の喫緊の問題です。
    なお、この葉書は、単なる秋篠川堤防を通り過ぎる輩だとご理解ください。決して返書などは不要ですので、ご理解ください。ただ、上記の歌と、上田先生逝去の報に接し、やたらと何か葉書を書きたくなっただけで、失礼この上なきものではありますが、お許しのほどお願い申し上げます。

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  2. 三條墨麗さん、コメントありがとうございます。私はあの道を頻繁には通らなくなっていますが、今も墨痕あざやかな歌は健在です。長く維持していただきたいものだと勝手に願っています。

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