『おそれと祈り―魔除け・厄除けの民俗を中心に―』という結構充実した講演を拝聴した。講師は柳田國男の弟子だという非常にアカデミックな教授だった(孫弟子?)。 国立歴史民俗博物館教授 関沢まゆみ氏。
いろんな事実から法則性を見つけることが学問であるとするなら、講師は、祈願の方法を大きく三つに分類し、
①神仏へのおまいり *神頼み
②門口・入口重視
・貼る 飾る *防御
・撒く 祓う *攘却
③身体に密着
・食する(体内に入れる) *強化
・身体に着ける *防御
・・特に③が強く、全体を一言でいえば、*守る・攻める・強くする・・の三つだと話されるなど、楽しくてためになる指摘が多かった。その内容の紹介は省く。
ただ私の感想をいえば、日本の民俗を大陸の思想と切り離して論じると議論が浅くなるように感じた。
そういう一つに「小豆粥」がある。
三省堂・年中行事事典のそこを引くと「小豆の赤い色はハレの日の食物のしるしである」とあるだけだし、講師は講演で「当初は豆撒きの豆のように生命力の強い大豆に力を見ていたが、さらに赤い色の小豆にすることによって邪気払いのパワーをアップした」と話した。
で講演終了後に「なぜ赤には凄い力があると考えられたのか。儒教や道教に起因するのか」と質問すると、「柳田國男もそこは解らないと言っている。ただ赤い色を作るのは非常に困難だったからという説もある」とのことだった。
講演の主題でもなかったし、講演後に講師と深く議論したわけでもないから、以降は私見になる。
このブログの節分の豆撒きの考察でも述べたとおり、年中行事の多くは大陸由来の思想(宗教)にあり、同時に、それが広く長く伝わったのにはこの列島の古人の普遍的な「おそれ 願い」と結びついたからだろうと私は考えている。
だから私はやっぱり道教を抜きにして日本の民俗を語るのは限界があるように思う。
柳田國男、折口信夫をなぞっているだけなら「新日本風土記」で止まってしまう。新日本風土記は好きであるが。
そこで「赤い色」に戻ると、青、赤、黄、白、黒の五色を聖なる色と考えるのは仏教にもあるが、神社にも見受けられ、文献を追えば、福永光司氏の説くとおり「周礼」等儒教の神学理論を「抱朴子」等道教の経典が発展させたものだと考えられる。
朱雀(すざく)・朱鳥(あかみどり)が南を守るという四神図はキトラ古墳等であまりに有名であるが、赤は南であり夏(青春と白秋の間の「朱夏」)である。「朱火宮」という宮では「よみがえり」の特訓が行われると道教では説かれている。
こうして、6世紀の「荊楚歳時記」にあるように「(太陽のよみがえりの日である)冬至に、疫鬼が赤豆を畏る」に発展し、現在の冬至の小豆粥の起源となったのだろう。小正月の小豆粥、節分のぜんざいはその発展形。
冒頭の講演内容に当てはめれば、インフルエンザが猛威を振るったであろう冬季に「小豆粥」を体内に入れて疫病に対抗できるよう「強化」したのだ。
さらに帰宅してから念の為、白川静先生の常用字解で『赤』という字を引くと、色の外に「手足を広げて立つ人に下から火を加える形で、穢れを祓い清める儀礼をいう」とあるから、甲骨文字の昔から、白川流に言えば「文字が世界を憶えていた」のである。先人畏るべし。
私は、2年ほど前から神社の役員をさせてもらっています。神社の祭典の際必ず祀られるのが『青、赤、黄、白、黒の五色』の聖なる旗で、私が用意する役目が度々あります。神社の祭りですから並べる順番を間違ったら笑い者になります。先輩の神社の役員に、「並べ方の覚える方法はありますか。」と伺ったところ、「向かって右から左に向けて、春(青)夏(赤)秋(黄)冬(白)土(黒)と覚えればよい。」と教えてくれました。
返信削除バラやん、コメントありがとうございます。
返信削除明日、続編をアップします。