2016年3月29日火曜日

戦争法廃止は理想主義か

 平成28年3月29日午前0時、戦争法が施行(しこう)された。
 北朝鮮が核実験やミサイル発射実験を行ったり、中国船が尖閣諸島周辺に現れたりすることで、「軍事力が弱いと舐められる」という街の声、スマートにいえば「軍事力が戦争の抑止力になる」という声が一定程度存在する。
 正直にいえば「その気持ちは解る」気もする。

  しかし、ここからが理性の出番である。
 平成6年(1994)にクリントン米大統領が北朝鮮の核施設を空爆で先制攻撃する作戦を6月16日に決定したことがある。
 その折のシミュレーションは、▲開戦90日で5万2千人の米軍が被害を受ける、▲韓国軍は49万人の死者を出す、▲在韓米軍と在日米軍の約8割が被害を受ける、▲米国人8万~10万人を含め民間人から100万人の死者が出る・・というものだった。
 この作戦は、訪朝したカーター元大統領に金日成が核凍結を約束したことや、金泳三韓国大統領が「やめてくれ!韓国軍は一兵たりとも動かさない」と直談判したことで中止された。
 これが現代戦のリアルである。
 付け加えれば、アメリカとEUとロシアが一緒になっても中東発のテロは防げていない。
 ビールを傾けてナイターを見ながら「もっと胸元へ速球を投げてビビらしたれ!」というのとは訳が違うのだ。

 1月にアフガンのペシャワール会中村哲医師の話が朝日新聞で大きく取り上げられていたが、「欧米人が街中を歩くと狙撃されるおそれがあるが日本人はまだ安心」「米軍とともに兵士が駐留した韓国へのアフガン庶民の嫌悪感は強い」と語っていて、日本人の「身元保証人」たる憲法9条を守って海外派兵をして来なかった日本の地位がこの法律で崩れることを大いに心配していた。
 このリアルこそ直視すべきで、戦争法ではない貢献の道は揶揄でいう理想主義でも何でもなく、それこそが一番有効な外交力、交渉力であり、外交力、交渉力の貧相な人間ほど暴力や金力を口に出してイキガルのだという真実を直視すべきである。

 少し前までは現代の政治状況について盛んに閉塞感、無力感が新聞紙上等で述べられていた。
 しかし、共産党が野党共闘のために1人区の立候補を取りやめるという捨て身の作戦を発表してから明らかに政治状況は大きく変わってきている。
 自公政権は野党共闘の分断のために反共攻撃を行い、同日選挙を画策しているが、そういう無茶を強行すればするほど普通の市民が野党共闘を支えて牽引する力を増している。
 この方向こそ理性的な方向だと思う。

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