2月10日第一刷の新刊を早速買って読み始めたが、なかなか硬い本で読むのに時間がかかった。
十分咀嚼してからブログに書こうと思い、関連しそうな縄文関係の本などを山のように積み上げたまま時間が経っている。
現在なお未整理のままである。
その間に朝日新聞にも著者の紹介があったし、赤旗にも大きく掲載された。
なので少しだけ書いてみる。
私が新聞広告でこの題名を見てすぐに購入したくなったのは、私自身、山の民とアイヌが繋がっていないかという漠とした皮膚感覚があったからだ。
それは勉強したからというものではなくほんとうに感覚程度のものなのだが、確か飛騨の高山あたりの「博物館?」でマタギや樵の山の民の半纏のような衣装を見たとき、「これは北海道で見たアイヌの衣装と同じだ」「マタギに代表される山の民と蝦夷と呼ばれた民、そしてアイヌとは繋がっていないか」と強く印象に残ったからだった。
また、東日本の縄文文化の色濃い囲炉裏に対して西日本のカマドとはっきりと文化が分かれているという定説?がいろんな文献に出てくるが、古都奈良の奥座敷の感がある吉野地方の旧家に囲炉裏のあるのを奈良県民俗資料館で確認して、この種の定説のあやふやさを感じていたからだった。(京都の花背もそうだ)
つまり、ミヤコに近い吉野だが、国中(くんなか)のミヤコよりも、遠く東北まで繋がる山中(さんちゅう)だけのネットワーク、そういう文化があるのではないかと感じていた。(修験や忍者のネットワークとも言われる)
いくらか理論的には森浩一氏がちくま新書「日本の深層文化」の中で、『日本の深層文化というと稲作文化という常識の誤りを、そして豊かな「野の文化」』を指摘されていた。
まだこの論を展開できるほど頭が整理できていないが、アイヌこそが縄文人の正当な末裔で、彼らは弥生文化についてこれなかった遅れた人々ではなく、多くの条件の中から弥生の農耕文化を拒否し、狩猟と交易中心の文化を選んだ人々だったのだ。・・・との意見に頷きたい。
そんなことを考えると、この先数年間はこのことについて本を読んだり考えたりする楽しみが増えたと喜んでいる。
買いたいなあと思って買っていない本は、岡本太郎の一連の縄文文化論だ。そのうちに買おう。
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