2015年12月12日土曜日

鬼肉(クイロウ)問答

  司馬遼太郎の『街道をゆく20・中国・蜀と雲南のみち』は単行本の初版が1983年(昭和58年)1月だから、1982年に司馬たちは旅行をして週刊朝日に掲載されたのだろう。
 その中に「コンニャク問答」という章があり、要旨このように語っている。「漢字渡来以前に日本人が蒟蒻(こんにゃく)を食べていたのなら大和言葉がある筈だがそれがない。/蒟蒻は漢語であるが圧倒的な中国人は蒟蒻を知らないし食べない。/西晋時代(265~316)の詩人左思の作った「蜀都賦」に蒟蒻が初見される。」と。
 で、蜀(四川省)の街道をゆく折々に司馬は蒟蒻料理を尋ねるのだが、結局その頃(1982年)の中国では蒟蒻は四川でも食べていなかったと語っている。ただ蒟蒻芋を粉にして保管することをしないので季節(しゅん)には四川の一部(灌県等)では食べていたようだとも。
 余談ながら灌県での蒟蒻の異名は鬼肉(クイロウ)、バケモノの肉というのも可笑しい。
 ここまで読んでみてお気づきのとおり、先日から私は、餅つきのルーツが中国南方の非漢民族地帯にあることを楽しく考えているが、蒟蒻も非常にそれに似ていないかとさらに楽しくなっている。
 少なくとも黄河文明とは無縁の食べ物である。
 蜀は非漢民族である「西南夷」の地だ。

 さて我が国で蒟蒻を特産品としている地方は多いが、奈良県南部の吉野地方はそのひとつである。有名な蒟蒻工場があり蒟蒻芋の粉も販売している。
 で、息子夫婦がそれを大量に購入してきて、行事の屋台で蒟蒻のおでんを販売するというのでその製造を手伝った。
 非常に温度管理を精確に行いながら糊状に溶かしたところに石灰水(凝固剤)を入れるのだが、一瞬に固まるそのときに思いっきり掻き混ぜないと上手く固まらない。それが重いのなんので思いのほか大変なものだった。
 結果は、白くて美味しい蒟蒻が出来上がり、行事も上手くいったようだ。

 蒟蒻は近頃でこそ緻密な分析で身体に良いと言われたりするが、いわゆる栄養素はゼロである。漢語でいう甘、酸、鹹、苦、辛という味も全くない奇妙な食品で、司馬流に言えば「こんなばかばかしいものを食ってよろこんでいる民族が他にあるだろうか」とでも言ったところだが、今は日本発の健康食品として中国に「里帰り」しつつある。
 日本列島はアジアの辺境だとつくづく思う。
 辺境故に故地ではほとんど滅んだような文化のトランクルームであるところがまた面白い。

1 件のコメント:

  1.  今日、孫の夏ちゃんに「中国では蒟蒻のことをバケモノの肉って言うんやで」と言ったら大いに驚き喜んでくれた。
     つまらない雑学だが、書物の中に知らないことを見つけることは楽しい。

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