昨日の記事の続きだが、会員数約250世帯の自治会で結局300数十名が参加してくれた。
20臼近いお餅がなくなったのだから、ちょっとしたイベントだった。
「ダンドリ八分」という言葉があるが、丁寧な準備と何年もの実績がこういう結果を生んでくれたのだと思うと嬉しい。
臼の内のひとつは我が家の臼を使ったが、これはキメの粗い自然石なものだから、「返し手」をすると2~3臼で手がボロボロになってしまった。
そこで台所用のゴム手袋をみんなに勧めたが、これもすぐに破けてしまった。涙ぐましい裏話である。
ということを思うと、私の義母などはこれを素手で何臼もやっていたわけであるから、軟(やわ)な現代人に比べると桁違いに逞しかった。頭が下がる。
で、将来ある子供たちが逞しく育ってほしいと、子供たちをつかまえては餅つきを体験させた。
丸めるのもさせてやりたかったが、「何か(食中毒?)あったらどうするの」という「正論」で残念ながらできなかった。ああ。
薪コンロで羽釜を沸かして蒸すのもさせたかったが、カマド番のコーナーは鍋奉行よろしく年寄りたちが楽しんでしまってここにも子供の出番はなかった。ああ。ああ。
ただ、飼いならされてしまった近頃の子供たち自身、汚れることや危険なことはしたがらない。
過保護の極みのような大人たちが「海外派兵」を決定したこの国は何処に向かうことだろう。ああ。ああ。ああ。
さて、餅つきの歴史であるが、713年の豊後国風土記にあるというぐらいであまりよく判らない。だからいろいろ研究し推測するのが楽しい。
日本列島の文化というと、はるかペルシャや中央アジアの文化も基本的には中国の中原を経て直接あるいは韓半島を通って伝わったものがほとんどである。
ところが、この黄河文明のモチは、砕いて(粉にして)→、丸めて→、蒸す(あるいは煮る)のであるのに対して、餅つきのモチは、蒸して→、搗いて(砕いて)→、丸めるのであるから、似ているようで全く似ていない。
というところから長江文明を辿ってみるのも楽しくってしかたがない。
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