大阪W選挙の後から小泉構造改革のことを考えている。
郵政選挙のとき、小泉首相は「何で郵便職員が国家公務員でなければならないんですか」と絶叫したのを覚えている。
郵政事業は黒字で郵便職員は一円も税金を使わず、反対に国に利益をあげていたにもかかわらず、この訳の解らないキャッチコピーに世論は熱狂し疑問を挟むものは守旧派と叩かれた。
そして、全国津々浦々にある郵便局が簡易保険を運営している限り太刀打ちし難いと不満たらたらだったアメリカ保険業界に市場を提供し過疎地を見殺しにした。
これらを推進した政治思想を新自由主義というが早い話が市場原理主義である。
売り手と買い手が自由に闘う場である市場にまかせれば一番合理的な結論に達するから、公的部門は市場に介入せず民間に任せろという。
医療だって教育だって行政も地方自治もみんな一緒であると。
こういう構造改革という政治思想(新自由主義・市場原理主義)をメディアもこぞって応援した。
だから市民は、医者に対しても教師に対しても公務員に対しても、とりあえずクレーマーになることが正義であり、そのことによって世の中は良くなると思わされた。(このあたりの分析と指摘は内田樹著「街場のメディア論」に教示を受けた)
それは、いろんな見方を検討して冷静に考えようという意見を一蹴して、世の中がよくなったかどうかなどは別にして、酒場で芸能人のスキャンダルをやり玉に挙げるのと同様に、一瞬の加虐的な満足感を市民に提供した。
医療事故があったとしたら問答無用で医師を糾弾する側に自分を並べ、学校で問題が起これば問答無用で教師の責任を追及した。地方自治体も同じ。
個々の事案には医師も教師も公務員も問題があり責任が問われることもあっただろうが、そんな個々の具体的な分析は後に置かれた。詳細な分析や検討はどうでもよかった。
そこで大阪である。
かつての大阪府政、大阪市政には多くの問題があった。政策でいえば開発至上主義だし、歪みの典型は同和行政だった。自治労傘下の労働組合の政党支持の締め付けや労使癒着もあった。それらを一貫して批判して是正を求めてきたのが共産党だった。
しかしその声は橋下一流のデマと扇動で掻き消されてしまった。
曰く、府市職員は働かないのに高給だと。もっと言えば府庁も市役所も無駄の固まりだと。だから品のよいやり方では奴らを懲らしめられないと。
地道な地方行政がどんなに困難になるかというような話は面白くもなんともない。
中労委で負けようが最高裁で負けようが、府市職員の弱った顔は蜜の味だった。
一向に面白くない世の中で、将来に希望もないなら、プチエリートたる地方自治体や職員が右往左往するのを見てみたい。なにせ、我々は税金を払っている売り手なんだから、クレームをつけること自体が正義なのである。その場をW選挙は提供してくれたのだ。
そういう熱狂するクレーマーが橋下維新を支持したのではないか。
もしそうだとしたら、多くの大阪の特殊事情は大いにあるが、それにしても、こういうことが起こる潜在的な病巣は大阪以外の府県にも存在していないだろうか。
大阪府民は阿保やなあと笑っていると後でホゾを噛む日が来るかもしれない。
大阪の特殊事情として分析するよりも、大阪で顕在化した現代社会の共通する問題として分析する必要があるように思う。
テーマは新自由主義(市場原理主義)が街を壊す!だろう。
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