2012年3月20日火曜日

布袋さん と 蕗の薹

   七週間が経過したので、清荒神(きよしこうじん)へ布袋(ほてい)さんをお返しに行ってきた。
 考えようによってはただの土人形ではあるが、「燃えないゴミ」に出すのはやはりためらわれる。「へえ~長谷やんがそんなこと言うか?」と笑われても仕方がない。
返納した布袋さん
 清荒神のHPには「お寺ですか神社ですか?」というQに対して「仏も神も祀っています」とのAがあり微笑んでしまうが、実際には修験道の祖の役の行者もおられるし、荒神は道教の神がルーツらしいし、その上に眷属(従者)である布袋さんがいるのだから、民俗学的には楽しいお寺(神社?)である。

 さて、その布袋さんは、三宝荒神さんの眷属(従者)らしいが、私の家ではご本尊の大日如来や三宝荒神さんよりも親しく付き合ってきた。
 いつの頃からの我が家のしきたりかは知らないが、祖母が毎年清荒神に参るのに孫の私(小学校低学年)が杖代わりに付いて行き、土人形の布袋さんを(毎年ひとつずつ大きな寸法の布袋さんを)買い求めて古い布袋さんと交換していた記憶がある。
 7年周期で新しい布袋さんと取り替えるというものだったが、どういうわけか私の小さい頃は相当大きな布袋さんがあったから、2段階ずつ大きな布袋さんを購入していたのだろうか? それとも7年以上の周期だったのか?もう判らない。
 近年は、ご無沙汰をしていたので交換が数年に1回ではあったが、それにしても7体の布袋さんが我が家の竈を守っていてくれた。
 布袋さん ありがとう。

 清荒神の参道はしばらくぶりであったので帰りはのんびりと歩いたが、「そういえば南天の箸を買ったことがあったなあ」とか「炭酸せんべいも買ったことがあったなあ」と思い出す程度で、「こんなものだったのかなあ」という印象しか残らなかった。
 昔々の参道は何かもっとわくわくするような妖しい雰囲気があったのに、参道が変わったのか、当方の心が変わったのだろうか。

 『さん志ようや本家』で蕗の薹の佃煮と葉唐辛子の佃煮を土産に買って帰って、その夜は戴き物の麒麟山で、少しばかり昔を振り返りながらお酒を呑んだのだが、この佃煮の予想外の美味しさには目が飛び出た感じがする。
 こんなにしっかりと山菜の香りが残っている佃煮は久々だ。
 門前の土産物屋と言ってよい店でこんな美味しいのは予想外だった。
 よい一日だったような気がする。

2 件のコメント:

  1. 何回か行ったことがありますが、参道は「石切さん」のようなんですか?あまり記憶がありません。新潟の酒「麒麟山」まだ飲んだ事がありませんが、名前からして、「キリ(ン)っ」とした酒の様ですね。

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  2. !私の記憶では「石切さんのよう」だったのですが、今回は天候がよかったせいか、記憶にあった“まがまがしさ”が大幅に薄れておりました。しかし、眉に唾をつけたくなるような骨董屋まがいの店も健在?でした。
     ブログに書きましたが『さん志ょうや本家』の蕗の薹は、それを目当てに散歩に行ってもよいぐらいの値打ちがあります。
     麒麟山は自身でお確かめあれ。
     伏見人形の本を読んでいると、こんな布袋さんでも(失礼)名のある作家(お店)の作品なんですね。もう「更新」のしきたりは止めですが、来年あたり一番小さい布袋さんを求めてキッチンの隅に祀るのも悪くはないような気がします。和道おっさんには「土俗である」と叱られるかもしれませんが。
     それに関連して、「京阪の古い家では12年(12体)のローテーションの家もある」とありましたから、私の記憶の“馬鹿でかい布袋さん”は12年目のもの・・・我が家は12年ローテの家だったのでしょう。

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