2011年6月3日金曜日

蛍を観て考える

 虫でも鳥でもないが、蜘蛛や蝙蝠は蚊や蛾などの「害虫」を食べてくれるので、その姿の好き嫌いは別にして、一般的には「益虫(虫ではない)」「益鳥(鳥ではない)」とされている。
 しかし、蛍にとっては彼らが二大天敵らしく、蛍を守ろうと1年を費やしてきた人々にとっては「憎っくき害虫(鳥)」とされている。
 だから竹箒を持って蜘蛛の巣を取って廻り、空を見上げては「あいつ等はよう知っておるんや」と毒づいている。
 確かに、優しく漂う源氏蛍を見ていると感情的に納得するのだが、冷静に考えれば「益か害」かは人間のマコトに勝手で便宜的な分類に違いない。
ネットから
 小さいときには害虫だったが大きくなったらせっせと受粉をしてくれたり、農村では害鳥と言われる鳥が都会では貴重な野鳥であったりということも少なくない。
 世界中には、カワニナを食材と考えている地域もあるかもしれない。そこでは「蛍はかなわん」などと語っているかもしれない。
 そんなこんなを考えると、人間は多様な地球に頭を垂れて住まわせていただくという己が自覚の欠如を思い知り反省する。
 なお、原発村の人々の発言に、その種の謙虚さが欠けているように感じるのは私だけだろうか。

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