丸谷才一著「完本 日本語のために」(新潮文庫)は、「大学入試問題を批判する」の中に「慶応大学法学部は試験をやり直せ」とか「小林秀雄の文章は出題するな」という痛快な中見出しが躍り、目から鱗の指摘のあれこれに脳内のアドレナリンが踊りだしたのは本当である。
ところがこの本、そもそもの第1章が「国語教科書批判」で、その巻頭が「子供に詩を作らせるな」である。
そして、丸谷氏が完膚なきまでに批判する「インチキきはまる詩」を作ってきた(そういう国語教育にどっぷりと浸かってきた)私としては、この主張に理論的に種々納得しながらも、感情的にはムッと胸が詰まるのである。
高度成長が始まる前の堺で小学生であった私(たち)は、「はとぶえ」(注)に詩が載るのが嬉しかったものである。
先日、堺の友人から、同級生の掲載分を抜粋したコピーを送ってもらい、懐かしさがこみ上げてきた。
「たしかに丸谷氏の指摘どおりかも知れん。あの頃は、文語体や漢字や決まりきった作文教育が古い考え(体制)を支えてきたので、形を無視した生活綴り方こそが正しい(国語な)のだと子供ながらに信じていた。」
「だから、その完全な信奉者だった私は、結局定年で仕事を辞めるまで丸谷氏指摘のとおりの「正しい文章」を書かないできた。」と、私は妻に説明した。
妻は「はとぶえ」を読みながら、「そのお陰で好きなようにブログを書いているんやなあ。ブログの文章のええかげんさは小学生の時の詩のままや。」と肯定(???)してくれた。
過ぎた年月は取り返しがつかないが、そして丸谷氏の指摘も少なからず納得するが、「はとぶえ」で育って、無手勝流で「文は形よりも中身や。」と通してきた半生にも後悔はない・・・と、うそぶいてこの「生活綴り方ブログ」を書いている。
丸谷氏の言うとおり、悪文を恥じる正しい教育を受けてきたのなら、こんなブログは一編たりとも公開できていなかっただろうと、笑いながら心の中で居直っている。
(注)「はとぶえ」は、昭和26年創刊で60年の歴史を数えた堺の月刊児童文芸誌
*当時の国語教育や「はとぶえ」に関する感想は、私の全くの独断であるので念の為。
綴り方といえば「つづり方兄妹」と云う映画がありました。子役の頭師孝雄と云うのがえらく芸達者だったのを子供心に覚えていて「生活日記」確かそんな風に言っていたと思いますがえらく流行った事がありました。でも、こんな文集を出すとはさすが堺です。
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