2011年6月21日火曜日

無手勝流音楽療法

与話情浮名横櫛
 昨夜のブログのつづき・・・を書いてみたい。

 実母の施設にいろんな「歌のボランティア」の方々が来られるが、「何かが違う???」と感じるところが少しある。(以下、全くの独断と偏見で・・)

その1 立派な演奏会だけでは難聴の方々は嬉しくない。
その2 合唱させようと必死であるのが痛々しい。大体が楽器に合わせて唄うというのは相当な水準の技術なのである。
その3 言語の障害がいろいろあっても脳内では大人の思考をしているはずで、幼児扱いされては嬉しくない。

 さて、門外漢の私が、こんな無手勝流の音楽療法?に目覚めたのは、偶然に「夏は来ぬ」の歌詞を持参したことから始まった。(合唱する気はなかったが、思いがけない唄の時間が生れて驚いた。)そして、そこで感じたことを何回か試行しながら思い至った・・・ことがある。

その1 歌は聴くより唄うほうが楽しいに決まっている。
その2 歌詞さえあれば、それぞれが歌って、たまに合唱になって、・・それぐらいでも不満は全くない。ボランティアは同じ水平線で一緒に歌うだけでいい。
その3 少なくとも小学校高学年以上の唱歌の名曲、そして、昭和30年頃までに流行った大人の唄がいい。低学年以下の童謡で満足しているのはボランティアの方だけだろう?

 ・・だから、(ボランティアの話ではないけれど)もし私が所長なら次の歌が唄えるかどうかをスタッフの入社試験の必須科目にしようと思う。(スタッフで唄える方は非常に少ない。・・・考えれば当然か・・・)
  お富さん  ここに幸あり  小さな喫茶店  湖畔の宿・・・
 (注:タンゴの名曲「小さな喫茶店」は全くの私の趣味・・・ハッハッハ)
 
 2~3種類の歌詞を配って、「〇〇さん、こんな唄憶えてはります?」と言うだけで、どれだけ素晴らしい唄の時間(まあ15分程度だが)が自然に生れるかということを、セミプロ?の方ほど見えていないように思う。

 プロよりもアマチュアのほうが問題の核心を突くこともあるのでは・・・
 ①(まる1)に来るのが「お富さん」っていうところ、・・このことも、ちょっとした発想の核心だと思いませんか?
 ゆっくりとした叙情歌の名曲(例えば:みかんの花咲く丘あたり)は結構難しいが、「お富さん」のリズムは歌いやすく、ラジオ時代の大ヒット曲「お富さん」を知らない入所者はびっくりするほどおられなかった。
 これこそが現場の「真理なのだ?」・・とまで言ったらあまりに大袈裟すぎますか。

2 件のコメント:

  1. 60年ぐらい前になりますかナ。亡母とどこかの寺参りの「講」に一緒の行ったことを思い出しました。そこで懇親会があったのでしょう、そこで「お富さん」の唄を覚えました。日時やどこのお寺だったのか等、中身や背景は全く記憶にありませんが一緒の唄ったのでしょう「お富さん」唄だけは私の深層脳裏に刻まれています。「粋な黒塀見越しの松に・・・」不思議な唄ですね。そこに着目された「長谷やん」は偉い!

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  2.  母親が近所のデイサービスに通っていた頃の写真に違和感を覚えた事がありました。子供のような格好をさせられ、唄っているのですが、幼児扱いをされる身をどう思っていたのか、今となっては知る由もありません。たくさん想い出をつくっていく長谷やんさんがうらやましい!とこれは勝手な勘違いかも。

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