ネットから |
家の前は果てのないほど桁違いのコスモス畑。「だから今でもコスモスが大好きなの」と言う。
コスモス畑が済んだら、いつも二階の窓から裏の大河を日がな一日飽かずに眺めていたらしい。
大きなジャンク、小さなジャンクがひしめくように行き交い、どの船も喫水線ぎりぎりまで荷物を積んで、まるで生き物のように活気のある河は一日中見ていても楽しいものだった・・・・と言う。
大きなジャンクは、先頭に大きく華麗な鳳凰を付けていて、ただの貨物船とは思われない、それはそれは見事な美しさだったと言うのだが、しかし、ネットでジャンクを探して見ても、そんなに素晴らしいジャンクは現在は出てこない。
いくつかの貨物船の中には豚がいっぱい積み込まれていて、遠くの岸では耳と尻尾をもって放り投げるように荷揚げしていたと。そして、上流に屠殺場でもあったのだろうか、時々豚の頭が河をプカプカと流れてきたと可笑しそうに語ってくれた。
これが、実母の一番小さいときの思い出。場所は蘇州。それ以上詳しいことは判らない。
「もう一度いってみたいなあ」と目を細め、再び蘇州夜曲を口ずさんだ。
「懐かしい昔を思い出させてくれてありがとう」と礼を言われた。
先日通院経路にある、何年か前までは田んぼだった休耕田に季節外れのコスモスがきれいに咲いていたのを思い出しました、言うてもせんないことですが住まいが近ければおばちゃんに持参することもできたのに・・・・
返信削除長谷やんのプログ見ての感想です。
蘇州夜曲は二人で唄っtたのですか?
いろんな思い出を引き出しから沢山引き出してあげてください「思い出は過去を美化する」言いますもんね。
茅渟の海さん ありがとうございます。今日もコスモス畑で従妹とどんなに鬼ごっこをしたかを聞きました。今となっては美しいシーンばかりが残っているようです。
返信削除