2011年6月12日日曜日

プチ あやつこ考

 関西では、若干のヴァリエーションはあるが、お宮参りの時に男の子の額には大という字を、女の子の額には小という字を紅で書く。
 因みにこの大小の字、儒教的には男尊女卑の匂いがするが、私の考えでは、これは道教的陰陽であり序列や上下には関係がないと感じている。

 ・・それはさておき、この習俗を「あやつこと言う」と知ったのは、ホンノつい最近、白川静先生の最後の弟子を称されている大川俊隆先生(大産大)の講義のときのこと。
 講義の寄道部分で「あの額の文字、皆さんは何て言ってますか?あやつこって言ってますか?」と聞かれて初めて知った。
 そして調べてみると、確かにあやつこは広辞苑にも収録されているし、柳田國男氏は「阿也都古(あやつこ)考」を著されている。

 しかし、総じて広辞苑を含め多くの解説は「これは魔除のまじない」との平板な説明に終わっていて、「大」「小」以外ににも「犬」の字や「×」の印もあることから、「この子は人ではないから取り付かないように」と魔物を騙すのだ!との説もあったりしたが、全般的には何か物足りないものばかりだった。

 そこで、やはりと言うべきか、なるほど説得力のある論究だと私が勝手に感心したのは白川静先生の著作(辞書)だった。
 白川静著「常用字解」によると「産」のもとの字は「文と厂(かん)と生」である。
 文は一時的に描いた入れ墨のこと。
 厂(かん)は額の形。
 そして生。草の生え出る象形。この字だけで、うまれる、いきる、・・・。

 つまり、白川文字学、白川民俗学でいえば、この(産の)字には、漢字が完成した殷代安陽期初期(前1300年頃)までの古代の観念と習俗が見事に封じ込められているのであるから、・・・・・それは、健やかな成長祈願の魔除であるとともに、殷の社会では、「あやつこの方法で産土神に報告することによって共同体の一員として産まれたことが認知された」・・・今風に言えば、あやつこを描いて、子の誕生を神に報告して、そうして初めて産まれたことになるのだ・・・ということなのだろう。
 とまれ、産の字こそは、あやつこの儀礼を指したものだった。
 あやつこの儀礼はそれほどに大事だと・・・と、いうことを人々は語り継いできたのではないだろうか。

 私が感心したのはタダそれだけのことである。
 「なんのこっちゃ」と思われるだろうが、大陸の北の文化、南の文化、そして海の文化等々が混沌と重なり合い、また重ならず、模倣と換骨奪胎に天災的な才能を発揮してきた「辺境」の我が祖先が、およそ3,500年前の殷の習俗を大事に大事に受け継いで、今日のこの子のシーンがあるなんて、ちょっと感動ものではないだろうか。

 あやつこを旧弊であると一笑に付すことはたやすいが、「告朔の餼羊」」()と考え、折角だからこんな機会に古人の思いをあれこれ想像して頭の中で楽しんでみたいと思っている。
 お宮参りが、単なる魔除の迷信・前例の踏襲で終わったのではおもしろくない。

 () 「告朔の餼羊」こくさくのきよう(論語の故事)
 2月24日の「炭も焼いていた母」にスノウさんから頂いたコメント参照
 古来の行事や儀式は害のない限り残しておくべきだ の意

4 件のコメント:

  1.  プチあやつこ考。自分なりに探求し思い至った経過と結果に(自己)満足しているが、誰もコメントをくれないので、やはり「なんのこっちゃ」というのが客観的な結論らしい。それでも、このブログが孫へのプレゼントと思ってくれる日が何時か来ると信じている。

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  2. お孫さんお宮参りの喜びのブログを単なる「ジジバカ」にならないよう考察されたインテルジェンスのあるブログにされたのは「さすが」と思っています。もちろん白川文字学からの「産」の字の意味については私もこの歳になって始めて知りました。勉強になりました。

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  3. 私の生まれた青森県南地方にも「やちこ」という言葉があります。赤子の額に書くバツ印のことです。今ではもう知る人も殆どいません。文献に残るばかりです。興味深いお話有り難うございました。

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  4. !「やちこ」のコメントありがとうございます。先日「えんぶり」が報じられていた「南部地方」でしょうか。
     さて「あやつこ」ですが文献では「×」が基本形のようです。
     その基本形とともに「やちこ」の言葉が残っていたとのお知らせ、感激です。
     ふじたけんじ さんが「やちこ」の版画を彫ってくれたら・・と夢を見ます。

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