2026年5月13日水曜日

宗教について思う

    宗教のお経や聖書などについて外からとやかく言うつもりはない。 
 しかしあるお経の本に「前世で悪口を言っていたのでこの世で口に障害が起こった」というような因果応報を説いているものに出逢ったときは、「これでは現実の障碍者はたまらん」と悲しくなった。  
 またある牧師さんがモノの結晶の美しさをあげて「この美しさは神の意思なくしては考えられない」、故に「進化論」はあり得ないと語られたときには、自然科学や医学への悪影響が心配になった。   
 暮らしの上での精神的なよりどころとしての宗教は良い意味での心の鎮痛剤だと私は考えるが、そのためには他の領域の考え方との「兼ね合い」が必要であろう。そこのところをわきまえずに神仏の語録を絶対上位に置く「原理主義」は場合によっては危険なものになる。 
 早い話が、過去の歴史上弾圧を受けた宗派にとっては弾圧に手を貸した宗派は悪魔であり、悪魔との戦いは善になる。その種の最終戦争を予言している書もある。 
 以上に書いたような幾らか整理された話ではないことだが、「日本人は韓国に償うべし」という宗教が、「日本人ファースト」を唱える右翼政治家に献金し選挙運動の手足になるという摩訶不思議なことも現に起こっているし、アメリカでは大統領が35日、ホワイトハウスの執務室でトランプを中心に福音派指導者らが手をかざして祈禱した。(写真:ネットの毎日新聞にあったもの)・・安倍晴明か?? 
 ネタニヤフとトランプによるイラク攻撃の主たる性格が宗教戦争だというような単純な議論をするつもりはないが、多くの日本人の思考回路を大きく超える政教一致の思考があることも事実である。 
 先日古い友人との惜別があったが、「彼はもっと酷くなる社会を見ることなく逝って幸せだったかも」という声を遠くで聞いた。  
 おいおいおい、もうちょっと人間を信じないか。子や孫に対して無責任だぞ。
 自分だけ儲かれば、ほかのことは知らんではねえ!
 日本人だってエラそうなことは言えなくないか!

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