そこを押さえたうえで、端午の節句を眺めると、そこにも「菖蒲イコール尚武」というようなレベルを超えた先人の知恵が感じられる。つまり、そもそも菖蒲の香りには生薬、漢方薬の効能が認められているから、この行事の一部には、経験医学とでも呼べそうな合理性がある。
こうしてわが家では、毎年、端午の節句には菖蒲湯に入り、菖蒲で鉢巻をすることにしている。すなわち、菖蒲の鉢巻きは邪気を払い健康力を助けてくれるのである。
ということで、先日スーパーで菖蒲を購入したのだが、それをカートの「傘立て」のところに立てて購入を続け、自宅に帰ってから「アッ、カートに置いたままだ!」と気がついた。
菖蒲は、一般的な病には効果があるが、認知症は「所管外」であることに気がついた??? それとも去年の鉢巻きの効能が時効???
電話をすると屋外のカート置き場にそのまま残っていたとのことなのでもう一度出かけた。
年中行事やしきたりの類には非合理的なものが多い。自然科学や論理学が未成熟な時代にはやむを得ないことだった。だからといって、バッサバッサと切り捨ててしまう生活は味気ない。言い換えれば「人間味」が乏しくなる。
息子や娘のファミリーには、超がつくほどの合理主義、論理主義を標榜している祖父ちゃんが年中行事を大事にするのが不思議なようだが。この気持ち、わかってくれるかな。
今日は端午の節句、まだの方は菖蒲を買ってきて、菖蒲湯に入って鉢巻をしよう!
.jpg)
微笑ましいエピソード。でもやめられない
返信削除うふふ