2026年5月4日月曜日

休む

    近藤勝重さんの本を読み返していて少しウッと思ったことを書く。
 近藤さんの「これからの生き方を文章にする」という文章の中に「文章に行き詰まったら・・・一息入れるということも大切なのではと思っています。『休む』の『休』は人が木にもたれかかっているのが字源だそうですが・・・」とあった箇所である。私のウッは文意・文脈とは関係ない。ただ、引用されたその字源なるものはほんとうだろうかと思った。

 以前に半藤一利さんが「相」という字について、「なぜこの字が首相とか厚労相の意味を持つのか」という問いに、『たすける』という意味があるからだ」と述べていることを書いたが、その意味を白川静『常用字解』で補足すると、・・相は木を目で「見る」の意味である。盛んにおい茂った木の姿を見ることは、樹木の盛んな生命力をそれを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので、「たすける」の意味となる。たすけるというのは、樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであるから、「たがいにする、たがいに、あい」の意味となる。また「すがた、かたち」の意味にも用いる。見ることは人の生命力を盛んにするという魂振り(たまふり)の力があると考えられたのである。・・・とあった。

 この記憶があったので、「人が木にもたれかかっているので『休』ですか?と、ウッと思ったわけである。
 そして再び白川静文字学!にあたってみると、「休は木の下に人が休むの意味であるとか、麦畑で人が休むの意味であるという説明をされることがあったが、それは誤った解釈である」とピシャリ。そして・・
 木は古い字形では禾の形で、禾は横木のついている柱、軍営の門の両脇に軍門の標木(目印の木)として禾を立て、両禾軍門といわれた。そこで軍事的な誓いや平和交渉なども行われ、禾の前で講和することを和という。戦争で手柄をたてた人を表彰することを休といい、休は「さいわい、よい、めでたい、よろこび」というのがもとの意味であった。周王朝のとき、戦争以外での功績についても王や上官が表彰し、貴重な貝や馬などを褒美として与えることが行われているが、そのようなときに休暇(やすみ)が与えられることもあって、休は「やすむ」という意味に使われるようになったのであろう。・・・とあった。

 白川静文字学は、深い中国古代思想の探求の上に成り立っていると考えられ、教えられることが多い。「休」の字源はさらに研究されてもよいかもしれないが、大いに納得させられる。
 周辺の木や草は一日単位で目に見えて成長していく。
 それを見て人は生命力を助けてもらうというのを実感している。

1 件のコメント:

  1. 近藤勝重さんを想いだしました。かつてMBSラジオで すこしだけしゃがれ声で鼻にかかった感じの語っていた近藤さんの声を拝聴していました。ユーモアのなかにも 針のような鋭い風刺や批判を楽しみにしていました。 「文章に行き詰まったら・・・」の言葉で大昔の天声人語(深代淳郎氏)を想いだした。「文化部の記者のなかには、ネタや文章に困ったら 動物園に行け」との記述がありました。ヨボヨボとヨタヨタになって生きるのに行き詰まったら、休み大好き爺ぃならどこに行けばよいか? GW後半に熟考してみよう。孤高岳人

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