例えば、一年に一回のパーティーをどう企画するかというようなときに、どこまで準備をするかが問題になる。
ただ、あまりそれを言うと「そんな難しいことを・・」と拒絶反応が先に立つから、ともすれば「今までどおりでええやん」という意見が現実的な正論のようになる。
しかしそうだろうか。
私はああでもないこうでもないと細部まで考え抜いて結果スベッタリする方が尊いように思う。
先日、地元の議員選挙の出発式があり、「地元代表で挨拶をしてくれ」ということになった。
「請われれば一差し舞え」との言葉もあるから承諾したが、さて何を話すべきか。まあ、それはあるにはある。
それよりも悩んだのは「話のツカミ」という細部であった。
選挙だからと言って堅い話は全くNGだ。長い話もNGだ。
そこで自己紹介で「町の端に住んでいる」「内田樹先生風に言えば町の辺境の住人だ」と話を始めて「辺境にも辺境なりの住民要求がある」と語ると大きく笑ってもらえた。※内田樹著「日本辺境論」は2010新書大賞
ヒトはよく私に「話すのに苦労はないやろ」「文章も苦もないやろ」などと言ってくれるが、実際は、話のツカミだけでもこのように一晩中考えているのだ。
みんなそういうものだろう。結果の以前には「細部に神が宿っている」のだ。
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