2025年5月31日土曜日

デパコレでチョイス

    いわゆる「お返し」にカタログギフトの「デパコレ」が送られてきた。 
 もともとが少額のものであったので、今さら!!というものばかりで選択はお菓子にしようかと思ったが、なんと「こしひかり」が目についた。スーパーの棚にはなかってもこんなところには隠れていたのだ。
 そんなもので、半分話題のためにこれをチョイスした。

 さて近頃話題の古米だが、昔から老舗の寿司屋ではあえて古米を特注していた。 
 実際には家庭で料理によって新米と古米を使い分けるのは無理な話だが、豆知識としては、寿司やカレーライスには古米がよく新米はよくない。

 さて古米はないが、月曜日は孫の凜ちゃんのために私がキーマカレーを作ることになっている。ネットで紹介されているレシピ以上のものを作ってやろうと思っている。
 妻は「毎日作る(考える)身になってみたら」と言うのでギャフンというしかないが、担当した料理に凜ちゃんが思わず「美味い!」と言ってくれると次も頑張ろうと思う。

2025年5月30日金曜日

ワンイシューでいいの?

    ワンイシュー(単一争点選挙)が流行っているように見える。
 
 テレビの「英雄たちの選択」風に「総理の心の内に分け入ってみよう」とすると、東京都議選、参議院選が終わるまではコメ単一のワンイシューで行こう、進次郎のパフォーマンスをテレビやSNSでばら撒き、古米、古古米を2,000円台にして乗り切ろうという策略に見える。基本の普通の新米がどうなるかは分からないし‥
 たしかにコメは毎日の基本の食糧だから米価の高騰や品薄が抑制されるのは良い。しかし、コメの増産、農家の所得保障、備蓄米の補填など根本的な問題は何も解決していない。
 そもそもが結論ありきのような随意契約は正しいのか。
 ワンイシューというと大阪では大阪都構想という虚言もあったが、それ以前には進次郎の父親の郵政改革選挙が典型だった。当時の郵政事業は黒字だったから国庫に何の迷惑もかけていなかった。迷惑と感じていたのは簡保にとって代わりたいアメリカや日本の保険業界だけだった。
 それを選挙が始まるや、「郵便局員がなぜ国家公務員でなければならないんだ」ときた。(だいたいが当時の三公社五現業は、非現業の(ごく普通の)国家公務員とは別物であった)
 そして、郵政事業が世の中のマイナスの諸問題の典型だから、郵政事業を民営化したらこの世(社会)はバラ色に発展すると叫び続けた。さて、それでどうなった。
 郵便も簡保もサービスは大幅に悪くなった。国の赤字・国債は増え続けた。年金も社会保障の水準も低下した。
 とまれ、いっときの古古米に喜んで郵政民営化の轍を踏んではならない。
 「貧すりゃ鈍する」という言葉がある。経済ひいては時間に貧すれば、卑しい考えに流されるという。
 ちょっと待て! ゆっくり話をしよう。
 裏金も学問(学術会議)の自由も、古米、古古米,古古古米の値段で「解決?」しそうな国に我々はいま棲んでいる。

2025年5月29日木曜日

消費税は社会保障の財源?

    消費税減税の議論を聞いていると、与党の反論は約めて言えば「社会保障が低下してもよいのか」という脅し文句のように見える。
 そしてどうしてか立憲の野田党首なども「消費税は社会保障の財源」論を暗黙の前提にしているように聞こえる。だが、果たしてそうか。
 まずは、ならば消費税導入以前には社会保障費はなかったのか。もちろんそんなことはない。
 そこで実際には、消費税で税収そのものを増税し、その分、法人税率や所得税の最高税率を引き下げ続けたのだから、金持ちの減税の肩代わりを庶民に押し付けたことになる。
 一番肝心なことは消費税は使途を特定する「目的税」ではなく「普通税」ということだから、結局税収に色はついていない。もちろん、社会保障に他の税収が充てられるのが法的に禁止されているわけではない。
 税金は「応能負担」が大原則。社会というか国の大原則もそこにある。本来負担すべき富裕層や大企業の払うべき税額は22年度予算をもとに試算すると58兆円とも言われている。
 消費税を減税しても世界一の福祉大国にできるのだ。

2025年5月28日水曜日

夏は来ぬ

    先日まで黒かった田んぼに水が入って輝いている。
 待ってましたと田植えも進んでいる。瑞穂の国の風景だ。
 早朝、ベランダに出ると時鳥(ホトトギス)の声が聞こえてきた。
 楝(おうち)の花は大半が道に落ちた。
 卯の花も道を真っ白に染めている。
 『夏は来ぬ』明治29年(1896)佐佐木信綱の詞は季節が正確だ。

 『夏は来ぬ』
 1 卯の花のにおう垣根に
   時鳥 早もきなきて
   忍音もらす 夏は来ぬ
 4 楝ちる川辺の宿の
   門遠く水鶏(クイナ)声して
   夕月すずしき 夏は来ぬ

ジューンベリー化ける

    juneberry ・ 6月のベリー。いわゆるブルーベリーとどう違うのかは知らないが、何年か前に庭に植えた。その木が6月を待たずに熟してきた。
 これまでは、もう一つ甘味や酸味に欠けて気に入らなかったが、どういうわけか今年の実は甘くておいしい。不思議だ。木が化けた。
 木自身が成熟したためかこの春が暖かかったためか旨い理由は知らない。
 こうなると、これまではおおらかに野鳥が啄ばむのを許してきたが、にわかにケチンボ根性が沸き上がってネットをかぶせようと思う。申し訳ない。よそをあたってくれ。

2025年5月27日火曜日

走る姿

    撮鉄(とりてつ)ちゃんのことはよくは知らないが、やはり走っている姿に魅了されているのではないか。
 先日の北斎ではないが、数字の上の月日でなく、常に何かに挑戦している(走っている)人の姿は美しい。 
 今年退職者を送りだした労働組合の宮風委員長がそうだった。
 ネットの時代、ちょっとググれば送辞の見本ぐらい簡単に出てくる昨今、今年の委員長の送辞は「送別の詩」ポエムだった。
 そこでは「はたらく者に必要な能力とは」と問いかけ、「隣の同僚に元気がなければ声をかけ、自分に元気がなければ声をかけてもらい・・そんな職場を作る力のことでしょうか」と思いを巡らせ、「だいたい40年、だいたい1261440000秒の、職業人生を全うされた先輩方に、感謝の言葉を贈ります」と結ばれていた。
 いいぞ現職組。わが会員も常に新しい挑戦を目指し、今年はカズーの大大合唱(合奏)で新しい退職者を歓迎した。
 例年少し大人しい気味だった現職組も、今年は大いに前に出てくれた。
 情熱のない引退からは代替わりも進まない。走ることだ。

2025年5月26日月曜日

ヤミ金心中事件

    524日にNHKの【新プロジェクトX】「ヤミ金融を撲滅せよ・八尾心中事件と雑草弁護士の闘い」を見た。
 2003年にJR大和路線の八尾の踏切で、3人の男女が電車に飛び込み自殺した。
 亡くなったのは、69歳の主婦とその夫(61歳)、そして主婦の兄(81歳)の3人で、夫と兄には障害があった。
 きっかけは、主婦が親族の医療費の支払いのために借りた15000円だったが、そのほんのわずかな金額に毎週15000円という異常に高い利息を求められ、借金は雪だるま式にすぐに30万円に膨らみ、しかも完済させてもらえなかった。
 そうなるとすぐに取り立ての電話や訪問が始まり、自宅に何度も電話がかかってきただけでなく職場にも執拗に連絡が入り、さらには友人宅や親戚にまで電話がかかってきて近所の住民にまで訪問や連絡が及び、主婦が残した遺書には、「逃げ場がない」「もう誰にも迷惑をかけられない」という言葉が記されていた。
 被害者は高齢だったこともあり、体力的にも精神的にも限界だったし、金融業者からの脅しや侮辱的な言葉を受けていたと遺書に書かれていた。
 そういう社会的信用の崩壊に耐えられなかったという要因が重なり、3人は最後に命を絶つという道を選んだ。
 番組はこれらに立ち向かった雑草のような弁護士の努力の物語になるのだがそれは略す。
 たしかに「どうしてヤミ金なんかに手を出したの」というお説教はできるかもしれないが、それでも人の命まで奪ってよいことはない。
 そしてその時代、ヤミ金ではないサラ金や商工ローンというのも五十歩百歩のことをしていた。「腎臓売ってこんかい」という脅しなどに差はなかったようだ。
 私は、サラ金や商工ローンの顧問弁護士をしていた大阪府の元知事や現知事の顔を思い浮かべた。
 
 片棒を 担いだ男は 笑ってる

2025年5月25日日曜日

「食べる」とは

    「動的平衡」の続きだが、先の著書では「消化とは食べ物を細かくして栄養を取り込みやすくする作業ではない」というのも面白かった。
 
 食べ物は、動物性でも植物性でもそもそもは他の生物の一部。そこには元の持ち主の遺伝情報がしっかりと書き込まれている。遺伝情報はたんぱく質のアミノ酸配列。アミノ酸はアルファベット、たんぱく質は文章にあたる。
 その他人の文章(たんぱく質)がいきなり私の身体に入ってくると、情報が衝突し、アレルギー反応や拒絶反応を起こす。
 だから元の文章をバラバラのアルファベットに分解し自分の身体で再構築する。この解体こそが消化の本質だ・・・と。
 ・・こういう話は解っているようでも新鮮だった。
 著者は、「コラーゲンを食べればお肌がつやつやになると思っている人はちょっとご注意あれ。それは、他人の毛を食べれば髪が増えると思うに等しい」と断言している。
 でもね・・・焼き肉をガッツリ食べると顔がテカテカになる気がしますがね???

2025年5月24日土曜日

どうして私が

【無作法ごめん】

前大臣「どうして私が・・・」

総理「ほんとうのことを言ったからだよ」

自殺プログラム

    先日、福岡伸一氏の「動的平衡」についてほんの少しだけ触れたが、氏の論について私が目から鱗だったのは「生命の大原則は分解だ」という点であった。
 例えば「うんち」と氏は述べ、「うんちは食べかすが排泄されているようにみえるが、その主成分は自分自身の消化管の細胞の残骸である。それが日々捨てられている」という。
 生命に降り注ぐ矢を放置すれば、例えば細胞膜の酸化、老廃物の蓄積、たんぱく質の変性、遺伝子の変異をもたらし、放置すれば生命という秩序は崩壊する。
 それに対して生命側は「丈夫で長持ち、堅牢で強固」という対応をするのでなく、常に傷つく前に、十分正常なままの自分自身を分解し、壊し、捨て、その代わり新しい細胞が日々新生されるという方法で更新し続けている。この絶え間ない分解と更新の流れを氏は「動的平衡」と呼んでいる。
 中世、鴨長明は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」と、「かつ消え」という分解を「かつ結て」という合成に先んじて詠んでいるイメージが「動的平衡」と氏は語る。
 新陳代謝ではない。細胞自身も、アポトーシスという自殺プログラムによって新しいものでも積極的に破壊することに意味がある。そうして我々は生きている。

2025年5月23日金曜日

いのち輝く

    朝日新聞には「かたえくぼ」という短文の投稿コラム欄がある。かたえくぼというのは苦笑した顔という意味だろう。赤旗では「ふれだいこ」と銘打っている。
 昨年からときどき川柳を考えたりし始めたが、川柳よりもカタチが自由で楽かもしれない。
 いろんなコラム名を考えたが「休むに似たり」、とりあえず仮題「無作法ごめん」として思いついたときに書いてみることにする。その第1号!


 【無作法ごめん】
 万博会場でユスリカ大群舞
 —ほんとうだ、いのち輝いている―
            昔昆虫少年

段取り八分

    私にくす玉制作の依頼のあったパーティー(本番)が
先日あった。
 雨の夜、帰宅すると、「くす玉はパカ~ンと上手く開いたの?」と妻が早速質問を浴びせた。
 今年の制作(改造)は大きなところでは垂れ幕の背景の飾りをモールからリボンに変更したのだが、結局それが以前よりももつれて綺麗に垂れ下らなかった。
 家でのテストでも時々失敗していたのだが、正常性バイアスというか希望的観測バイアスというか、「篭の中に丁寧にしまい込んでいけば最後は上手くいくだろう」と勝手に思い込んでいた。何が段取り八分だ!と自身に怒。
 それ以外にも製作者としてはいろいろ改善の余地の大きいところが目について反省しきり!

 それはさておき、反対に、何年も使い慣れた大きなパーティー会場だけあって、会館職員の方が上手く取り付けていただいたことには心から感謝。(この取り付けはけっこう難しく、下手をすると垂れ幕が裏返ってしまう)・・結果、垂れ幕は正面を向いてくれてホッ。
 物価高騰の折から料理を含む会場費(つまりは会費)を抑えたいという願いもあるが、このように使い慣れた会場のありがたさには代えがたい。

 くす玉というと進水式が思い浮かぶ。退職者だけでなく、われわれはいつも新しい日々に船出するのだ。

2025年5月22日木曜日

天道虫

    空豆(ソラマメ)を収穫した。
 
 ご存知のとおり、ソラマメは実(莢)が空(ソラ・上)に向かって屹立している。
 何となく自然に逆らって頑固に主張しているみたいでエネルギーを感じる。
 私などは「お多福豆」とも呼び習わしてきた。

 周りのエンドウ豆と違ってソラマメにはアブラムシがびっしりやってくる。
 どこから来たのか、なぜエンドウでなくソラマメなのか、自然界を覗き込めば不思議だらけだ。
 アブラムシと言えばアリとの共生が有名だが、その天敵がテントウムシ(食物連鎖)というのもまた有名。
 収穫するソラマメにもそれは居た。
 ネットをググるとテントウムシが売られているのを発見して驚いた。
 「天敵農法」って本当にあるのだ!!
 西欧では幸せを運ぶ虫というらしい。ナルホド!
 
 
 

2025年5月21日水曜日

北斎かく語りき

    葛飾北斎曰く「己六歳より物の形状を写の癖ありて半百(五十歳)の此(ころ)より数々(しばしば)画図を顕(あらわ)すといへども七十年前画く所は実に取に足ものなし」と。
 事実、富嶽三十六景は、七十歳を過ぎての刊行。
 ガ~~ン  何かといえば「歳だから」とか「健康が・・」という印籠を振りかざして後ろ向きの発言を聞くシーンのなんと多いことか。
 何を始めるのにも遅すぎるということはないし、何もしない寿命の長さにどんな意味があろうか。
 最晩年の北斎は、「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と言って息を引き取ったとか。
 参りました。

2025年5月20日火曜日

野蒜(ノビル)

    野菜でも山菜でもなし野蒜食う  

 庭の敷いたレンガの隙間からノビルが出た。
 野でも畑でもない不思議な場所だ。一層のこと離れた野なら野草、山菜と迷わないが、人間の生活圏の端っこ、道端の石の隙間という中途半端さが憎めない。
 今回は葉も食べようと湯掻いて酢味噌で戴いたが、茎や葉はすでに董が立っていて失敗した。
    本命の根は十分美味しく、夕食の酒のアテ
として戴いた。
 季節は駆け足で夏の先鋒、梅雨を連れてくるだろう。
 妻は「低気圧が来る頭が痛い」と言い始めるだろう。
 「葷酒山門に入るを許さず」ではないけれど、ノビルはそれら迎え撃つパワーを提供してくれる。感謝。

2025年5月19日月曜日

柿若葉

      
柿若葉フィトンチッドや吾も孫も
 
    柿若葉は初夏の季語。季語になるだけの存在感がある。生命力を感じる。
 さて孫の凜ちゃんは度々某大学病院に行かなければならないが、午前から午後にかけて幾つかの診療科を回ることもあり、そんなときは必然的に病院内で昼食を摂ることになる。
 診察途中の病院内の昼食が美味しいはずもないが、だからといって手を抜けばさらに寂しくなる。
 だから先日は、庭の柿若葉を十枚ほど持参して、これを小皿(おてしょ)の代わりにしたら、昼食の弁当もちょっとしたピクニックになった。
 大学病院は周りが緑の山手にある。
 柿の葉寿司の例もあるから食器として問題もないだろうし、「相」の字ではないが、「木を目で見る」ことは当方の生命力を助ける。
 相の字には助けるという意味があるから大臣のことを〇〇相という。 

2025年5月18日日曜日

読まず嫌い

    食わず(読まず)嫌いであった。 
 だいたいが「動的平衡」という言葉そのもののイメージが湧かなかった。
 だから朝日新聞の連載でも、その後の書店での立ち読みでも、読書意欲が生まれず、生命倫理かなんかの本かと手にも取らなかった。
 それに、別途購入したことのある高校の物理、数学、英語を学びなおすような本は、ことごとく挫折を繰り返してきた経験もある。
 そこで、「今回もまあそのように挫折してもよいか」と半ば冷めた感じ(ダメモト)で購入したのがこの本である。
 だから読み始める前の先入観はゼロだった。

 いつものように、これは書評でもないし読書感想文でもないが、あえて言えば科学研究の周りのエッセイらしく、まったくの素人の私にも非常に楽しく読み進められた。
 と言いながら、鋭い哲学的切口が随所にあり、感心しきりだった。
 
 さて、と言って一つも紹介しないというのもパッとしないので一つだけ披露すると、著者は、込み入った論考の文章は、電子ファイルでなく紙にプリントアウトして読むらしい。それについて・・、
 「これは、我ら年寄り世代の郷愁にすぎないのであろうか。必ずしもそうではない。生物の視覚は動くものに敏感だ。それは敵あるいは獲物かもしれない。反射的にすぐ行動する必要がある。・・一方、じっくり観察し、分析し、思索を深めるためには、対象物が止まっている必要がある。・・コンピューターやスマホの画面の文字は、止まっているようでいて実は絶えず動いている。電気的な処理でピクセルを高速で明滅させているから、文字や画像はいつも細かく震えているのだ」というのも、目から鱗というよりも、「やっぱりそうだったんだ」と納得した。
 よって、興味が湧けば、この新書を手にとって読まれることをお勧めする。けっこう面白い。著者がカジノ万博に加担しているという生臭い話は別にして。

 ※ この本の話を妻にしたところ、そのいくつかの章のことは、「ラジオで聞いて知っている」とのことで、頑なな書籍重視派はぎゃふんと言わされた。

2025年5月17日土曜日

メディアのタブー

    古い話だが現職の時代、わが労働組合が行政研究活動の一環でパートタイム労働の実態調査と法制度改善の提言を行い、それがテレビのワイドショーでも取り上げられたことがある。
 その本筋の話はさておき、その番組のためにテレビ局を度々訪れた組合員が、「テレビ局内では卑猥な話が大ぴらに話されていて驚いた」といくつかの事実をあげて語ってくれたことがある。
 だから、例の「女子アナの上納」などという週刊誌報道があった際、他の局も含めてそんな話はあっただろうなあと私は感じたが、その前のジャニーズ問題も含め、マスメディアはズーとそれをタブーにして、見て見ぬふりをしてきた。

    その種のタブーの一つが、「共産党の主張はできるだけ無視する」というものではないかと思う。
 今日的にはそれは「消費税減税の財源論」に端的に表れている。例えば12日の衆院予算委員会集中審議である。
 共産党のたつみコータローは、「社会保障の財源をどうするかなどを話さないで消費税減税だけの話をするのは無責任だ」という首相に対して、「私たちは国債を発行して財源に充てるとの無責任な提案はしていない」と強調し、大企業や大金持ち減税の是正や、軍事費の削減、政党助成金の廃止など20兆円を超える財源を確保できると提案した。
 これには、毎年数十兆円規模で借金を増やし続けることになる国民民主党、れいわ新選組などの論が念頭にあるのか、首相も「御党の安易に国債発行に頼らない姿勢は本当に立派だ」と答弁せざるを得なかった。(公明党も赤字国債発行を選択肢としている)

 ところがマスメディアはこの議論を「あえて」黙殺し、「(共産以外の)野党の論の不備を突き、「財源を棚上げしバラマキばかりを主張しているようではとても国政の舵取りは担えない」というような「解説」をして、与党(権力)を応援している。
 ひどい大企業優遇税制やアメリカ言いなりの際限のない軍事費増強は「絶対に触れない」タブーなのだろう。
 ということは、その真実をタブーなく追及する共産党を大きくするのが、物価高騰から暮らしを守る上で一番大切なことだと言えるのではないか。

2025年5月16日金曜日

ジャスミンの香り

    先日来、家のドアを開けると近所のジャスミンの香りがボワア~~ンと押し寄せてくる。
 それはジャスミンティーだとか香水と呼べるレベルをはるかに超えていて、ムムムという感じ。
 過ぎたるは・・なんとかで、正直に言えば香害に近い。
 ただ、近所のジャスミンに負けず劣らずわが家のエゴノキも満開で、甲乙つけがたいからお互い様である。
 エゴノキはエゴノキで昆虫を呼んで受粉をしてもらおうと必死だろうし、そういう意味ではこの種の香りはいわば媚薬であるのは間違いない。クマバチは狂喜乱舞している。

    さて下の写真の花が何かお解りだろうか。蕾の状況からすると数日先には満開になるだろう。
 答を言えば、菊菜=春菊で、冬の間はわが家のビタミン補給に大いに貢献してくれたもの。
 最後に有終の美を咲かせてやろうとあえて放っておいた。春菊ありがとう。


    最後の写真はタイワンタケクマバチ(台湾竹熊蜂)だろう。近頃急速に増加している。飛んでいるときには普通のキムネクマバチなどと見分けがつかない。
 そういえば上のエゴノキの写真のもタイワンタケクマバチの可能性が高い。

2025年5月15日木曜日

観音さんの水晶玉

    東大寺法華堂(三月堂)は二月堂の隣にある。
 低山登山にも弱音を吐いている私には、大仏殿から法華堂までのこのなだらかな坂道?が「登山」の限界みたいに感じられる。
 法華堂の堂内には本尊の不空羂索観音像を中心に合計10体(国宝、奈良時代)の仏像がところ狭しと立ち並んでいる。
 ここの好いところは畳敷きの大きな縁台のような拝観?スペースがあることで、ここに静かに座ってしばし心を空にできることである。
 大仏殿とは別に拝観料がいるためか、何時もおおむね静かで空気が落ち着いている。
 ただ先日はいつもと違って幼稚園の遠足があったので、例によって静かに座りながらも、仏たちよりも幼児たちの動きを見ていた。
 見ていると、先生が正面の観音さんの合掌している手の間に水晶玉があると説明し、幼児たちは次々に「アッ見えた」「見えた」と言い出した。
 実はこのお堂は平成22年(2010)から25年(2013)にかけて大規模な修理事業が行われ、その際照明もLEDに変更されたのだが、私の経験ではそれ以降水晶玉は見えなくなった。
 そして今回も、いろいろ角度を変えて眺めたりしたがやはり見えなかった。
 野暮は言うまい、幼児たちは見たのである。
 幼児たちが出てから堂守の方に、「見えなくなった大人の負けですわ」と言って笑いあった。

2025年5月14日水曜日

ギネス 知らなかった

    だいぶ以前にギネスの缶ビールを買ったが、もう一つ美味くなかった。
 冷蔵庫の一番冷える場所に置いていたのでビールの一部が凍ってしまったらしい。事実、缶の中で氷の塊がコロッと動くのがわかった。
 その氷はそのうちに溶けるだろうと、残った缶は冷蔵庫に置いておいた。
 そして今回、飲んでみたがやはりそれは溶けずにコロッと残っていた。どうしたことだ!(怒)

 で、缶の後始末してくれていた妻が、「どうも氷ではないで」「指で触ってみたら」と私に教えてくれたので、缶切りで上を開けてみるとナント!
 それは缶にも書かれていたが、・・そんなもの読みもしなかった#$%&。
 ギネスの説明文を次に記す。
 🔳 ドラフトギネス缶の中に入っている白い球は、豊かでクリーミィな泡をつくりだす球型カプセルです。「フローティング・ウィジェット」と呼ばれ、ギネス独特のサージング(泡立ち)を起こします。大きめのグラスにゆっくりと注いだときに見られるサージングの様子を「カスケードショー※」と呼んでおり、美味しいギネスを味わう前の楽しみでもあります。
 ・カスケードショーとは、注いだ直後から泡がおさまるまでの間、グラス内部に見られるギネス独特のサージングの様子です。きめ細かい泡が次から次へと滝のように流れてみえるのを、Cascade(英語で、小さく連なる滝・液体の滝状の流れ)に例えました。
・「フローティング・ウィジェット」の素材はポリプロピレン製です。タッパーやお皿などさまざまな容器に広く使用されています。また、日本の食品衛生法にも適合した素材です🔳

 知らなかった、知らなかった。そういえば確かに泡はクリーミーだったが、だとすればあの「美味しくない」感覚は何だったのだろう。
 「黒ビールは日本製に限る」これが私の教訓だ。

2025年5月13日火曜日

歴史も古い交野

    本来なら明日は退職者会のハイキングに参加するつもりでいたところだが、近頃息切れがひどく、わずかな傾斜の「登り」に全く自信を無くしていて不参加を選択した。 
 行先は交野(かたの)の交野山(こうのさん)だったが、交野というと桓武天皇が道教に基く天神の祭りを行ったことで有名だが、現在の交野市、枚方市のどこで行ったかは特定はされていない。
 私が桓武なら、交野山の巨岩の上で四方を拝したいが・・・。

 桓武天皇といえば、先の平成の天皇(現上皇)が平城京遷都1300年祭やサッカーワールドカップ日韓共同開催の式典の折、「私自身、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫だと続日本紀に書いてあることにゆかりを感じる」旨の「お言葉」を話されたことに驚き、先の天皇の人柄には大いに感銘を受けたことを思い出す。
 桓武天皇の生母は高野新笠(たかののにいがさ)で、神話的には遠祖は河伯(道教の水神・カッパ)の娘。

 そんな歴史の香りを感じながら歩きたかったが、もう人に迷惑をかける年齢になった。
 写真は、自分が巨岩の上に登ったものを探したがなかなか見つからないので、ネットにあった好日山荘のものを拝借。

2025年5月12日月曜日

初夏を告げるウスイエンドウ

    CMなら「春を告げる」というところだが、5月5日が立夏であったから正確には初夏を告げるウスイエンドウ である。
 現在の大阪府羽曳野市碓井(うすい)地区で栽培が始まったので碓井豌豆だが、今は和歌山が主要な生産地になっている。大阪の人でも大阪発祥というのを知らない人が多いが仕方がない。

 ウスイエンドウをグリーンピースだと誤解している人もいるが、食べれば判る。似て非なるものと言いたい。全く違う。
 わが家の狭い家庭菜園で10日に初収穫をしたのが上の写真。収穫本番はこれからのこと。

    栽培そのものは放っておけばよいだけのことだが、莢(さや)を剥くのはけっこうな作業量。
 12日の夕飯は孫の凜ちゃんの大好物、豆ごはんである。
 そして七十五日寿命が延びる。
 豆ごはんの写真は後日アップする予定。

    ※豆ごはん、アップします。(12日朝)

2025年5月11日日曜日

印パのニュースに思う

    印パの交戦のニュースを観ていると、兵器の主流はドローンやミサイルで、後方部隊である「防空システム」
 などが標的にして攻撃されている。時代の変化を感じる。
 一つひとつのドローンに反撃するだけでなく、後方の部隊を叩くというのも今日的だ。
 と考えると、仮想敵国からすれば、国内最大規模になろうとする祝園弾薬庫は優先的な標的になるだろう。
 その300億円をかける祝園弾薬庫の拡充問題は、町議会議員選挙の大事な判断基準だろう。
 精華町の町議会議員選挙は今日11日が投票日だ。

ショウブの鉢巻き

    医学をはじめとする自然科学が未発達の時代、人々は経験やその他の知見をフル活用して宗教行事のようなものができていった。
 それをバカバカしいとか古臭いとかいうのは容易いが、その時代のそういう行事のようなものを推測しようとしなければ歴史はほんとうには掴めないし大体がそういう歴史認識では人生感も貧相になる。そういう風に思って古い習慣を私は大事にしている。

 私自身は迷信だとか「」付きの習慣のようなものに極めてクールだが、世の中を見渡せばけっこうそういうものに影響されている人も少なくない。そしてそういう人に限ってメジャーにはなっていない古い習慣等には冷淡に思える。

 GWには来れなかった孫の凜ちゃんが来たので、ショウブ湯を沸かしてショウブの鉢巻きをさせた。
 ショウブの鉢巻きで病気にならないなどと小指の先ほども考えてはいないが、「小さい頃に祖父ちゃんからショウブの鉢巻きを教えてもらった」記憶はどこかに残るだろう。それでいい。

 NHK BSの「日本縦断こころ旅」を楽しく見ているが、その魅力の一番はその土地の風景などではなく「お手紙」の内容で、少なくないそれは、生前の祖父母や父母との思い出の風景である。それがいい。
 ショウブの鉢巻き、祖父ちゃんの思い出、それでいい。

2025年5月10日土曜日

メッセージの伝え方

    先日友人から悩みを打ち明けられた。
 「近頃は長い文書は読んでもらえない。だからといってキャッチフレーズみたいな話では現に複雑な問題を話しきれない」‥という内容だった。
 問題意識はよく判ったが、私にも「即効薬」みたいな答えはなかった。
 故井上ひさし氏は、むずかしいことをやさしく・・・まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに・・と諭されたが、それはけっこう上級編かも。
 経験的に感じていることは、どこかの論文の受け売りみたいな話は全く意味がないということ。
 自分の身近にあった経験とそのことに関わる感情みたいなものを吐露すればいいのではないだろうか。
 結局、一周廻って人間性だと言ってしまえばなおさらハードルは高くなるか。
 そんなことをあれやこれや悩みながら自分をさらしていけば一人や二人は「人生意気に感じる」ぐらいのことは言ってくれるだろう。
 故益川敏英氏は、ノーベル賞受賞対象の研究を進めていた時期、京大理学部職員組合の書記長で、後に著書では「二足のわらじが履けなきゃ一人前じゃねえ」と啖呵に似た発言をされていた。むむむむ。
 5月6月は二つの性格の異なるニュースを製作するが、この多忙を愉快だと思うかどうかで人は試される。でしょ、ご同輩!

2025年5月8日木曜日

大きな最終盤

    大都市の方々には想像もできないだろうが、町議会議員選挙となると6日に公示された選挙が11日に投開票となるので、短距離も短距離、もうゴール目前となっている。 
 そういう風に聞くと「田舎の小さな自治体ののんびりした風景」を想像されるだろうが、実は全国で600億円の内の約300億円かけて祝園弾薬庫の施設を増強(14棟増設)するという大問題が問われている。
 戦前の軍隊は陸軍と海軍が仲が悪かったので有名だが、この弾薬庫は全国で唯一、陸上自衛隊と海上自衛隊が「知らぬ間に」共用するように変更されている。
 今トランプが日本政府に難癖をつけているが、それ以前から日本政府は新型の日本車の輸出の見返りに中古のトマホークなどの武器を大量に買わされてきた。
 トマホークは海軍が使用する長距離巡航ミサイルだ。
 「京都府内の高速道路が整備されて日本海での海釣りが便利になった」などと喜んでいるうちに、祝園弾薬庫にミサイルを保管しておけば、高速道路で舞鶴まで一直線だ!ということになっている。
 「軍事力を強めれば平和が保たれる」という勘違いもあるが、いくら「防衛力だ」と言っても外国にとっては「嫌な戦力」以外の何物でもない。そういう軍拡競争こそが不測の事態の火種になりかねない。
 昨今「敵基地先制攻撃」が普通に話されるようになっているが、それを裏返せば、巨大な弾薬庫は先制攻撃される目標になる。その隣には大きなニュータウンや学術研究施設がある。嘘のようなことが進んでいる。
 小さな町の町議会議員選挙だが大きな選挙だ。お知り合いの方々にも声をかけていただければ幸いだ。

神は細部に宿る

    『神は細部に宿る』との格言がある。
 例えば、一年に一回のパーティーをどう企画するかというようなときに、どこまで準備をするかが問題になる。
 ただ、あまりそれを言うと「そんな難しいことを・・」と拒絶反応が先に立つから、ともすれば「今までどおりでええやん」という意見が現実的な正論のようになる。
 しかしそうだろうか。
 私はああでもないこうでもないと細部まで考え抜いて結果スベッタリする方が尊いように思う。

 先日、地元の議員選挙の出発式があり、「地元代表で挨拶をしてくれ」ということになった。
 「請われれば一差し舞え」との言葉もあるから承諾したが、さて何を話すべきか。まあ、それはあるにはある。
 それよりも悩んだのは「話のツカミ」という細部であった。
 選挙だからと言って堅い話は全くNGだ。長い話もNGだ。
 そこで自己紹介で「町の端に住んでいる」「内田樹先生風に言えば町の辺境の住人だ」と話を始めて「辺境にも辺境なりの住民要求がある」と語ると大きく笑ってもらえた。※内田樹著「日本辺境論」は2010新書大賞
 
 ヒトはよく私に「話すのに苦労はないやろ」「文章も苦もないやろ」などと言ってくれるが、実際は、話のツカミだけでもこのように一晩中考えているのだ。
 みんなそういうものだろう。結果の以前には「細部に神が宿っている」のだ。

2025年5月7日水曜日

カズー購入

    昨年5月にカズーの合奏を行ったパーティーから1年が経過した。
 
 今年はパーティーの企画について私からは何も提案しなかったが、多くの人から「今年もカズー合奏をやろう」ということになり、ついては購入についての事務処理をよろしくと依頼された。
 そこで廉価なものはないかとネットをググり、18個  1,727円というのをポチッとして購入した。(ちなみにズーっと以前に私はほとんど変わりのないMADE IN ENGLAND のものを1個2,000円程で購入したゾ???)

 願わくは、このカズーをどのように「活かして」パーティーを盛り上げるかだが、それは新しい企画担当メンバーに期待しよう。若い世代ガンバレ!
 頼むから棒立ちで吹いてほしくないな。楽器だと思ってスウィングしながら吹いてほしいものだ。
 カズーはアフリカ発祥の楽器で黒人奴隷によってアメリカ南部のジャズに取り入れられたもの。間違ってもオモチャなどと言ってほしくない。

 先日はメーデーに持参したが、宣伝カーからは一切歌唱指導がなかったので、半ばヤケクソでシュプレヒコールをカズーで唱和した。
 パレード(デモ行進)にカズー! そのうちに流行るかもしれない。 ・・?そんなことないか。

2025年5月6日火曜日

竹川マスオさんが出発

    精華町町議会議員選挙が始まった。
 身近なことでいえば、現実とマッチしていないゴミステーションの問題、大きなところでは舞鶴の海上自衛隊用のミサイルを増強する祝園(ほうその)弾薬庫の問題、新しいことでは、AI(人工知能)時代の巨大なデータセンターの諸問題。
 まるで高齢化社会問題、軍拡反対の平和問題、AI時代の桁違いの環境問題など、日本の将来を問う縮図のような選挙だ。
 そんな選挙に、竹川マスオさんが南部地域から元気よく出発した。
 及ばずながら一言応援の言葉を述べさせていただいた。

汨羅に入水

 昨日は粽(ちまき)の故事を書いたので、改めて陳舜臣著「十八史略」の該当部分を読み直したが、やはり内容が膨大過ぎるので以下のとおりwikipediaのコピペに戻った。
    🔳 屈原(紀元前
343年)頃 ー紀元前278年)頃は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。
 秦の張儀の謀略を見抜き、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。春秋戦国時代を代表する詩人としても有名である。
 当時の楚は、西の秦といかに向き合っていくかが主要な外交問題で、親秦派と東の斉と同盟することで秦に対抗しようとする親斉派があり、屈原は親斉派の筆頭であった。
 当時の楚では屈原の政治能力は群を抜いていたが非常に剛直な性格のために同僚から嫉妬されて讒言を受け、王の傍から遠ざけられると同時に国内世論は親秦派に傾いた。
 屈原は「秦は信用ならない」と必死で説いたが、受け入れらず、屈原の心配どおり秦の謀略家張儀の罠に懐王が引っかかり、楚軍は大敗し、大敗後屈原は一層疎んぜられて左遷され政権から遠ざけられた。
 秦は懐王に縁談を持ちかけ秦に来るように申し入れた。
 屈原は秦は信用がならない、先年騙されたことを忘れたのかと諫めたが懐王は親秦派の公子子蘭に勧められて秦に行き、秦に監禁されてしまった。
 楚では頃襄王を立て、頃襄王の令尹(丞相)として屈原が嫌いぬいた子蘭が着任したため、更に追われて江南へ左遷された。
 頃襄王21年(紀元前278年)、秦により首都郢が陥落したことで楚の将来に絶望し、55日の端午に石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。
 屈原の強烈な愛国の情溢れる詩は楚の詩を集めた『楚辞』の中で代表とされ、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛された。
 後に55日の命日には、屈原の無念を鎮めるため、人々は楝樹の葉に米の飯を五色の糸で縛って、川に投げ込むようになった。これが粽(ちまき)の由来といわれる(あくまで故事)。また、伝統的な競艇競技であるドラゴンボート(龍船)は「入水した屈原を救出しようと民衆が、先を争って船を出した」という故事が由来であると伝えられている。🔳
 相当昔、職場の先輩に中国史が好きな人が何人かいて、よく麻雀をしながら「べきら」「べきら」としゃべっていた。そんなことから『屈原の汨羅入水』は勝手に覚えてしまった。そんなことを五月五日に思い出した。

2025年5月5日月曜日

端午の節句は道教

    今日は端午の節句。
 伝統行事の多くが中国にルーツを持つ日本という国の中で、鯉のぼりだけは中国にはないというのも面白い。
 お祭りのときに神社に立てられる大きな縦長の旗は神が降臨する憑代(よりしろ)だが、これこそが鯉のぼりのルーツらしい。それでも「登龍門」、鯉の滝登りという中国の伝説に拠っているのでやっぱり中国文化からは離れられない。
 粽(ちまき)は(中国の)戦国時代屈原(くつげん)が汨羅(べきら)の淵に身を沈めたという故事が人口に膾炙しているが、江南の民族が日常食としていた粽を供えたと考える方が素直だろう。
    ショウブやヨモギは前漢の頃から辟邪・辟病の仙薬(万能薬)であり、ショウブ酒、ショウブ湯となったことは容易に想像できる。日本でも中世までは宮中でヨモギ人形を飾ったが、これが武者人形の一つのルーツだといわれている。
 わが家ではショウブ湯から出るときに一本抜いて鉢巻にすることとなっている。辟病だ。
 要するに全体としては古い中国の文化=つまりは道教の文化の上に立っているのにそれに気づかないのは天動説の論者と変わらない。
 その種の古くからの日本の「行事」を馬鹿にしながら、やれバレンタインデーだ、ハロウィンだ、クリスマスだと騒ぐ国民のなんと多いことか。

2025年5月4日日曜日

かがやけ憲法

    mamazakiさんという方の風刺画の一つに、ひざまずいた女性が「神様!私が何をしたというのですか?」と問うのに神様の声が「何もしなかったからだよ」と答えているのがある。
 子どもの遺影を抱いているからパートナーによる児童虐待がテーマだったのかもしれない。
 だから作者の本意ではないかもしれないが、この神様とのQ&Aは現代日本人の「見て見ないふり」精神を批判しているようにもとれる。
 ナマナマシイ話は別にしても、あの世で地獄行きを宣告されたときに、「私が何をしたと?」と確信をもって問うたときに、「ガザの子どもたちやウクライナの子どもたちが理不尽に殺されていたときに、君は何もしなかったからだよ」と神様にいわれたとしたらなんと抗弁したらよいだろう。
 「多くの日本人は見て見ぬふりをしていたから、私もみんなと同じようにしていただけです」は正答になるだろうか。

    5月3日は憲法記念日。学術会議法をはじめ、じわじわと憲法の規定が踏みにじられている。
 また正直な議論をすれば「核抑止力のない平和外交は理想でしかない」という声が増えていないだろうか。
 かくして私は、日本民主老人同盟か新日本男子の会を夢見ている。桂二葉ちゃんではないが「ジジイども見たか!」と笑われないようにしたいものだ。

2025年5月3日土曜日

段取り八分

    NHK Eテレの幼児向け番組に『にほんごであそぼ』というのがあるが、その番組の『計画』というテーマのときには「計画のない目標はただの願い事にすぎない(サン・テグジュベリ)」などと子どもたちがラップで踊っていた。
 Oh!これは全く大人向けの番組でないか!と私は感心した。

 また「段取り八分(だんどりはちぶ)」という言葉もある。例えば会議で「次の会報は〇月にだそう」と 計画しても、誰が誰にどんな原稿依頼をするかという計画を詰めずに終わってしまうこともある。・・・それはただの願い事・・?と毎回反省している。

 で、先ず隗より始めよとなるだろうから、今月後半に使用するくす玉のメンテナンスに着手した。
 写真はくす玉の光沢が落ちてきたのでラッカーで上塗りだけをしたところ。八分にはまだ遠い。

 5月1日にそのパーティーの歌集等担当者とちょっぴり昼呑みをしたが、ああでもないこうでもないと検討してくれていた。段取り八分の実践、素晴らしい。頭が下がる。
 私が「安易に簡単な企画へと妥協してほしくない」と言ったので一層頭を抱えさせることとなった。
 結論は別にして、夢は大きな方がよい。奇しくも高齢者二人が「あのCMのカントリーダンス!みんなで踊ったら愉快だろうな」と言い合った。「そんなあほな」で終わったが、1分か2分は微かにホンキである。

2025年5月2日金曜日

憲法と統一協会問題

 5月3日がやってきた。昨年202452日木曜日にこのブログで『53日というと』として書いた記事を再録する。新しい記事を書くのを手抜きするものではなく、ますます重要な内容だと思うので再録する。「去年読んだよ」といわずに再確認してほしい。 

    1946
113日に公布された日本国憲法が施行されたのが194753日。この53日は日本国憲法の喜寿(※今年は78)のお祝いの日だが主人公は近年満身創痍の感がある。
 それらについては多くの人々が語るだろうから、今年私は少し角度を変えて「赤報隊事件」について書く。
 書くと言っても微妙な問題でもあるので、小林よしのり、有田芳生 共著『統一協会問題の闇』(扶桑社新書)第3章 教団の武装化路線と権力中枢への侵略・・で有田氏が語られている(と記述されている)ことの紹介(つまり引用)である。よって、後は各自で考えていただきたい。
 
 🔳 今から37年前(※今年は38)の198753日憲法記念日の夜、朝日新聞阪神支局が襲われ、小尻記者が散弾銃で殺害され、犬飼記者が重傷を負った。
 56日、共同通信と時事通信に「赤報隊一同」と名乗る犯行声明が届き、1月に朝日新聞東京本社を銃撃したことを明らかにするとともに、「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」とその声明は宣告した。
 924日には朝日新聞名古屋本社の単身者寮が散弾銃で銃撃され、そのときの犯行声明では「反日朝日は50年前にかえれ」と記されていた。
 その後も、朝日新聞静岡支局に爆発物を仕掛けるなど、赤報隊事件は1990年まで続いたが、犯人は検挙されず2003年までに一連のすべての事件の公訴時効が成立した。 
 犯行声明に着目した警察は、犯人を右翼、あるいは新右翼と見て捜査していたが、実は同時に別の「線」も見ていた。それが統一協会と国際勝共連合だった。 
 1987年当時、朝日新聞や朝日ジャーナルは霊感商法を追及するキャンペーンを張り、教団側は朝日新聞を批判する大量のビラを駅前で撒いたり、すでに戦争状態に突入していた。 
 阪神支局が襲撃された3日後の56日午前、朝日新聞東京本社に散弾銃の使用済みの薬莢2個と脅迫状が同封された封筒が届き、脅迫状には「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれていた。
 同封されていた薬莢は阪神支局銃撃で使われたものと同じレミントン社製で、口径も散弾の大きさも同じものだった。実際の犯行に使用された銃弾は米国製で、脅迫状に同封されていたのは日本国内でライセンス生産されたものだった。
 重要なことは、銃撃に使用されたものがレミントン社製と報道されるより前にこの脅迫状は投函されていた。また消印は統一協会本部のある場所である渋谷局だった。
 有田氏が持っている警視庁公安部の赤報隊事件の捜査資料には、統一教会の信者52人の名簿があり、本籍、現住所、勤務先などが記載され、何人かには、「勝共」「非合法」「軍事組織」と書いてあった。
 さらには、「元自衛隊員」「統一協会軍事組織」とか、「統一協会軍事組織所属」「山の中で射撃訓練」とまで書いてあった。
 有田氏は、彼らは輸入された空気散弾銃を所持しているか、禁輸後も輸入され続けた単発の空気銃を所持しているのではないかと睨んでいる。🔳

 別のページの空気銃については以下の記述がある。
 🔳 実は、統一協会(韓国?)はオウム真理教と同じように「武器」を製造していた。 「統一グループ」のなかに「鋭和散弾銃」という製造部門を持ち、後に「統一重工業」に社名を変えた。さらに1968年にはこの会社の製造した「鋭和BBB(ビースリー)」という空気散弾銃を、日本の勝共連合と密接な関係にある「幸世物産」が2500丁輸入していた。🔳

 この件での後藤田正晴警察庁長官の国会答弁(国会議事録)
 🔳 幸世物産と勝共連合というのは極めて密接な関係がございます。・・2500丁の空気散弾銃が輸入をせられた。・・・問題は、こういう銃砲刀剣類所持等取締法の対象になる銃砲というものは、狩猟の用具にするとか、・・競技の用とか、それぞれ目的が決まっているわけですね。その目的に照らしてこの空気銃が果たして適正なものかという点に私どもは疑問を抱いたわけでございます。・・・したがって、第2回目以降は輸入を禁止するということで処置をしたわけでございます。
 ところが今度は、輸入業者のほうは、猟具で駄目なら、それじゃ競技用でどうだ、こういうことを私のほうに言ってきた。・・しかし空気散弾銃の競技というものはどこにもないじゃないかということで、・・この空気散弾銃を認める意思はございません。🔳

 有田氏 🔳 ところが今度は、統一協会の銃器メーカー「鋭和散弾銃」は、単発の空気銃を製造し、名前を「鋭和BBB」から「鋭和3B」に変えて、1970年から1975年にかけて15700丁輸入された。幸世物産は統一産業に名前を変えていた。
 これは、一般的な空気銃の3倍以上の威力(殺傷能力)があり、・・全国に直営店をつくり、信者向けに販売されていた。🔳

 昨年の5月2日の記事の再録はこれで終り、前述の有田芳生氏の著書のあとがきから若干補筆しておく。

 🔳 安倍晋三元総理銃撃事件をきっかけに、テレビへの出演が増えた。2022年7月18日に「羽鳥慎一モーニングショー」に出たとき、この「体験」の話をした(※10年後に有田氏が複数の警視庁幹部(元職と現職)に「なぜ摘発できなかったんですか?」と聞いたところ、即座に「政治の力ですよ」と言われたということ)。
 司会者もコメンテーターも「凍りついた」とあちこちで報じられた。実は、翌日もこの番組に出演を依頼されていたが、「明日の報道はなくなりました」と伝えられ、テレビ朝日への出演はこれが最後になった。しばらくして別の局の番組に呼ばれたとき、「政治の力」は言わないでくださいねと念を押された。🔳

 上記のとおり、統一協会問題は過去の問題でもなく裁判所にお任せしておくべき問題でもない。
 自民党や「ゆ」党の政治家の中には今も陰で統一協会を守ろうとしている者が少なくない。
 当の朝日新聞をはじめとするマスメディアも以上のような有り様だ。
 5月3日にはどうかこの問題を語り合っていただきたい。

 



2025年5月1日木曜日

まもなく端午の節句

    まもなく端午の節句なので小さな鯉のぼりのガーランドをドアに飾っていたところ、ある日行方不明となり
探してみると家の裏に落ちていた。
 「風に飛ばされたかな」とも考えたが場所が不自然。推理するに、「旨そうな魚だ」と考えたカラスが持ち去ろうとしたが、「ケッおもちゃカイ!」と捨て去ったのだろう。
 賢いカラスがガーランドに騙されるか?とも思ったが、同じように節分にはイワシ(これはホンモノ)を飾ったから、カラスの少しばかりの学習が仇になったとも考えられる。

    次の写真は五月飾り。左側のが神農さんの笹につけられる標準的な「福虎」。
 右側の小さな「福虎」は先日の献湯祭で戴いたもの。
 近頃のわが家の五月飾りはこのとおりのミニミニ。
    さて息子が小さい頃、妻の両親から本格的な五段飾り(これは最後には某施設に寄贈した)をもらい、その大きさにふさわしい張り子の虎を信貴山で購入したが、あまりの迫力に息子が「怖い」というのでヒゲを全部抜いて「福猫」にして一件落着にしたというのも懐かしい思い出。

 #言行不一致! 兜に太刀、弓を飾るか・・・との批判があるかもしれないが、歴史や民俗は大事にしつつ頭の中で変換するのがよくないか。