2024年8月31日土曜日

コリオリの力と大台ケ原

   この原稿を書いている30日は、台風から遠く離れた東日本でも大きな被害が報じられているのに、京都南部のこの辺りは「どこに台風が近づいているの?」というぐらい静かで、被災地には「申し訳ない」ような気分にさえなる。

 孫の凜ちゃんは、午後からの歯科までに時間があるので、午前中にはわが家でプール遊びをした。長閑すぎて申し訳ない。
 天気図を見てもこの辺りだけ雲の空白地帯となっている。これは、1年に360日は雨が降るといわれる大台ケ原に代表される紀伊山地、台高山脈、鈴鹿山脈が南東からの風をブロックしてくれているからだろう。
 台風の東側の南東の風・・反時計回りの風である。

 いうまでもなく地球は東に向いて自転している。日本列島辺りの緯度だとそのスピードは約1400km/hといわれる。新幹線が300km/h超、ジェット機が900km/h超であるから大変なことであるが勿論我々にはそんな自覚はない。
 それは、北極上空から見ると反時計回りの回転体であり、その上を移動する物体はコリオリの力によって進行方向よりも右に曲げられる(南半球では反対で左)。
 反時計回りのそこそこの速度のメリーゴーランド上で正面の相手にまっすぐボールを投げると、ボールは相手の左手の先(投げたこちらから見て進行方向の右)にそれるという例えがある。
 台風は超低気圧であるから中心に向かって風を吸い込むが、その風(空気)はコリオリの力によって進行方向より右に引っ張られる。右へ右へと引っ張られながらも中心へと向かうので、反時計回り(左巻き)の渦となる。
 こうして、コリオリさんと大台ケ原さんのお陰で、30日頃の京都南部はこんな呑気な原稿を書いていられる。
 ビニールプールも乾いたので台風本番に備えて片づけられた。

2024年8月30日金曜日

台風の目

   予報円バカでかく目がまわってる (川柳もどき)

   台風10号の進路予想はなかなか定まらず、予報円はいつまでも巨大であった。
 巨大な予報円ということは、早い話が「予報できない」ということだ。
 そんな情報にめまいを覚えているが、台風にもある目も回っているので行き先が定まらないのだろう。 

 さて、たまには北へ、大陸へ突き抜ける台風もあるが、圧倒的な台風は日本列島周辺でジェット気流に乗ってこの島を東北へ縦断する。
 それゆえ先人は恐れもしたが、野分(のわき)などと言って情趣さえ感じていたようだ。
 私の感心するのは、稲穂の揺れるさまを「風のあしあと」と詠んだその感性だ。

 台風には雷も付いてきたりするが、それは恐怖・不安の対象であるとともに、豊作をもたらす吉祥とも考えられ、様々な紋様にも肯定的に取り入れられてきた。
 大難小難、大難小難、今宵この盃で台風を飲み干してやろうかと思っている。

2024年8月29日木曜日

真ねぶ

   孫の凜ちゃんはゆっくりゆっくり成長している。
 そんな一コマ。
 「学ぶ」というのは「真似ぶ」から来たという俗説があるが、凜ちゃんは祖父ちゃんの血圧測定をいつの間にか見ていて、ふとした時に測定器を引っ張り出してきてスイッチを押す。上腕にセットできてないところはイマイチだが、祖父ちゃんが「高血圧が出ないように」じっと安静にして測定に臨む姿はしっかり真似ている。

 台風は文字どおり低気圧。
 祖母ちゃんは気圧性頭痛らしい。

2024年8月28日水曜日

呪いの言葉 有事

   J党の総裁選に立候補したD大臣のKTが出馬会見で披露したキャッチコピーが「・・有事のいまこそKT」だったので仰天というか非常に気分が悪くなった。
 言うまでもなく有事とは戦時体制のことである。KTは「戦争前夜だ!」と言いたいのだろう。
 政治家が国内に向かってそういうときは、「権利だとか民主主義などと言う者は敵だ」「国民精神総動員だ」と言いたいときである。

 先日の『井上皇帝』で書いたとおり、美濃部達吉博士・貴族院議員の天皇機関説に対する糾弾・弾圧の際も、多くの軍人を含むエリートたちも「あれ(糾弾)は一部の特異な意見だ」と傍観しているうちに、全国民がおかしいことを「おかしい」と言えない時代が生まれていった。
 
 半藤一利氏の本に紹介されていた「主婦の友」昭和19年12月号はルーズベルトの「日本処分案」として次のとおり紹介している。
 【働ける男を奴隷として全部ニューギニア、ボルネオ等の開拓に使うのだ。女は黒人の妻にする。子供は去勢してしまう。・・日本本土に上陸したら、虐殺競演(コンクール)をやろう。女は別である。・・】
 こんな宣伝に「そんなあほな」と言えば特高警察にしょっ引かれる時代があった。

 「さすがにそれは・・」と思っていても、気づいたときには口に出せない時代がほんとうにあった。
 KTの「・・有事の今こそ」に大きな不快感を覚えた理由はそこにある。
 「J党の党内の話だから」と見逃さず、現政治制度下では事実上の内閣総理大臣選挙でもあるから、「どさくさに紛れて有事などと言うな」という批判の声をあげていきたい。
 「有事」というのは呪いの言葉、詐欺師の言葉である。

2024年8月27日火曜日

進路が予想し辛い

   台風10号の進路予想図だとわが家直撃だ!と24日(土)に書いたが、日曜日の夜が明けると予想外に西に寄っていた。ただ予報円はまだまだ大きいから、中心線に一喜一憂するのはまだ早い。
 それにわが家(地域)から離れたとしても直撃されたりする地域があるので「一喜」と表現するのは良くないかもしれないがお許し願おう。

 さて、地震などに比べると台風情報を含む天気予報の精度は格段に高いが、それでもこれほど困難であるということに、一種の畏敬の念を感じる。
 ウェザーニュースからダウンロードした図の台風の南にくっついたのは寒冷渦(上空に寒気を伴う低気圧)というらしいが、先日まではそれほど注目されていなかった。それが、私などには突然?台風の南側に回り込んできた。

 右端の太平洋高気圧も予想に反して小さくなっていない。
 この図では記されていないが、朝鮮半島上の気圧の谷にノルカソルカで予想は大きく異なるようだ。
 だいたいが東にカーブするのはジェット気流が大きな影響を与えるものだが、いろんな解説を読んでもチベット高原の南回りのジェット気流があまり触れられていないのはどうしてだろう(北周りで黄海を大きく南下し蛇行するジェット気流は触れられている)。

 私の感想だが、まだまだ、まだまだ人間は自然を解っていない。
 「地球は温暖化していない」と主張している人もおられるが、人間が確実に異常気象を引き起こしていると考えるべきだろう。

2024年8月26日月曜日

オクラはエライ

   今年はオクラが巧く育った。
 花は綺麗だし味も好い。
 これまではよくオトシブミにやられて奇麗ではなかったが、今年はどうしてか虫があまり着かなかった。
 それに目立つところに植えたので、大きく硬くならずに日々収穫できた。

 苗屋は「3本ほどの束を分けずに植えろ」と言っていたが、妻は早々に1本ずつに分けて植えた。私は「あかん」と言ったが、結果ヨシである。

 妻はその植替えがよかったのだと鼻高々だが、私は毎日の私の水やりのお陰だと思っている。しかし、検証のしようもない説を述べあっても仕方がないので、私は「ハハー」と言っている。

   ほんとうは今年の苗がよかったという単純な理由かもしれない。

2024年8月25日日曜日

蜂の一刺し

   19日の早朝に蜂に刺され23日の金曜日には5日目となったが、23日に皮膚科に受診するのは取りやめた。まだ完治はしていないが、明らかに24日の夕にヤマを越えた気がしたからだ。
 19日に受診した際、身長と体重も問われたが、それは薬剤の量と関係あったのだろうか。
 結果として、朝夕4日分の飲み薬を処方され、4日目の夕食後の服用でヤットではあるがヤマを越えた感じがしたので、さすがだ!と診断に頭を垂れている。

 ただ、24日に少し腫れの退いた指先を見るとはっきりと針の埋もれているのが見えたので、これは待針で掘って取り除いた。そんなのは他の箇所にも残っているかもしれない。

 さて、熱中症のこともあるが、妻からは一人で庭仕事にドアから出るのを止められている。特に一人で脚立を使用するのは危険だと固く禁じられている。
 そんな中23日には妻が出掛けたので、こっそりと鋸や脚立を引っ張り出した。
 主な作業も終わったので、先の蜂の襲来で中途半端になっていたマンサクをもう少し整えようと手を出すと、ギョギョギョ、当時「出動」していた蜂たちがせっせと帰ってきて巣の再建を計っていたらしく、再度大量の蜂が襲い掛かってきた。
 全力疾走で逃げたので結果オーライだったが、「懲りない馬鹿者」と皆(特に妻)に嘲笑われるところだった。

 で、すべてを片づけて、大したことはなかったような顔をして家に籠った。
 写真は蜂への仕返しのつもりでヘクソハズラ。漢字で書くと、屁糞葛だ。どうだ。それにしてはけっこう綺麗。

 さてさて、義母は晩年、小さい頃のあれこれを私に語ってくれたが、その中に「おやつ代わりにアシナガバチの子をそのまま食べた」というのがあった。
 スズメバチの子は信州あたりで有名だが、アシナガバチは聞いたことがないので巣の絵を描いて確認したが間違いなかった。
 小さな女の子が逆襲されずにどのように子を獲ったのか不思議だが、もう確認することはできない。
 老人が一人亡くなるというのは図書館がひとつ無くなるということである。

2024年8月24日土曜日

野分(のわき)

   台風10号が近づいている。この原稿を書いている段階の進路予想図ではわが家直撃となっている。2018年関空台風の再来かとも言われている。
 その関空台風の折は、大阪湾の埋立人工島夢洲(ゆめしま)のコンテナターミナルに積んであったコンテナが多数吹き飛ばされ転がっている。
 その夢洲では、今は多数の労働者が万博工事に携わっている。
 問答無用の万博工事最優先で、労働者の人的被害(災害)が発生しないか心配する。
 人命軽視が起こらないかどうか、みんな注目してほしい。

   先日、伊藤孝著『日本列島はすごい』中公新書・を読んだことは少し触れたが、この本によると、日本列島は地球科学的には新しく、かつきわめて活発な変動帯に区分され、気象学的には大陸の東に分布するモンスーンかつ台風来襲域で、乗りこなすことが容易ではない「じゃじゃ馬」「暴れ馬」だという。
 だから安全・防災という視点では、活火山、地震、台風は好ましいものではないが、これらは風光明媚な景観、肥沃な土地、豊富で美しい水、よりどりみどりの温泉、さらには浅熱水性金鉱床の生成と裏表の関係にあるのだと。

 この列島の我われの祖先は、2万9000年前や7000年前の巨大噴火できわめて大きな被害を被ったが、その中でかろうじて生き残った者が命を繋げたのだというから、いつもいつも原発の話をするつもりはないが、現代人の多くは大きな勘違いをしているかもしれない。

 例えば崖崩れや土砂災害という「じゃじゃ馬」であったが故に土壌が豊かという指摘は目から鱗であったが、そういう地球科学的な時間・空間スケールで考えれば、自然に対してもっと謙虚になり、積極的・戦略的に分散せよとの指摘にもハッとさせられた。
 そんなことなどを頭の中で考えながら、とりあえずは命を守りたいなと台風10号の情報を注視している。月末が二百十日である。

2024年8月23日金曜日

テレビジャックだ

   麻生氏が言ったかどうかは知らないが、「岸田では選挙は闘えない」というのが自民党内の世論あるいは「天の声」だろう。
 看板(表紙)が変れば「自民党は生まれ変わった」「裏金問題も統一教会癒着も過去のことだ」と思わせられる。国民なんてチョロイものだ。
 オリンピックの余韻のあるうちにたくさんの名前をあげて、「誰がよい」「誰が強そうだ」という話題を盛り上げればよいのである。続オリンピックのテレビジャックだ。
 私が自民党の参謀ならそういう戦略でいく。
 付け加えれば、作戦がバレないうちに解散総選挙。

 私でも思いつくこんな三文オペラに大マスコミが手玉に取られているのが情けないが、実は・・・「そんな自民党の戦略は百も承知」で、尻尾を振ってお先棒担ぎの競争に励むのがニッポン大マスコミの狡猾さではないだろうか。 

 「そんな話は解っている」とリベラルな人々は言うかもしれないが、それにしては対案が見えてこない。
 「対案なんて戦術は姑息であって、正論を継続すれば最後は勝つ」とでも言うのだろうか。それがそうなら何千万円、何億円という投資詐欺、ロマンス詐欺、オレオレ詐欺はないはずだ。善良な人間ほど「善意の顏」に騙されやすいのだ。

 提案と討論のない所に楽しい未来は生まれない。オバマ元大統領の演説を見ながらそんなことを感じた。
 「そろそろこんな宣伝を考えようぜ」・・そんな声を待っている。

2024年8月22日木曜日

錦糸卵

   絶不調3日目。昨日アップした記事は事故以前に作成してあったストック原稿。
 3日間、集中力が持続せず、ほゞナマケモノ状態。
 午前中は別の症状で医院に行って、メールで依頼のあった仕事を済ますと半日終了。
 午後は、夕飯のほんの一部に使う錦糸卵を作っただけ。
 今日はこれまで。

2024年8月21日水曜日

早起きの都市鳥は

   「スズメとカラスとどちらが早起きか」というクイズがあるが「いやいやツバメだ」というのが私の実感だ。
 鳥ではないがコウモリが空を明け渡すと入れ替わって飛び回るのはツバメで、スズメ、カラス、ムクドリは一呼吸おいてから「ご出勤」となる。
   水鳥の出勤も早いが普通水鳥は都市鳥とは呼ばない。
 少し違ったところではイソヒヨドリがいる。名前のとおり元々は磯=海岸に住んでいて、20年ほど前まではわが家周辺にはいなかった。
 だから最初はその胸の婚姻色の赤色が鮮やかなので「あれはきっとアカハラだ」と信じたくらいだ。
 そのイソヒヨドリが「大型スーパーの駐車場などが磯の崖と同じだ」と住み着き始めて、今では一二を争う都市鳥になっている。そして、この鳥の鳴きはじめるのがまた早く、もしかしたら一番早起きの都市鳥かもしれない。

 2枚目の写真はスズメのご出勤。

2024年8月20日火曜日

蜂の大編隊

   19日の朝、少し曇っていて気温の上昇もゆるやかそうだったので樹木の剪定をし始め、密集したマンサクを透こうと枝木の中に両手を入れたところ、まるで火傷のように痛みが走った。
 
 後で判ったが10数センチまで成長した巨大なアシナガバチ(キアシナガバチ)の巣そのものに手をつっ込んだので、両手を数えきれないほど刺され、さらに蜂が大編成で襲い掛かってきた。

 とっさに逃げおせて顔などは刺されなかったが、両手は痛みと痺れで動かなくなった。
 蜂には、以前にも何回も刺されたことがあるし、手が腫れあがったこともあるから、アナフィラキシーショックも頭をかすめ、とりあえずは虫刺されの薬を塗りまくりながら病院などに電話をし、「急いで皮膚科に行くのがよい」ということで、皮膚科に行き、抗アレルギーの飲み薬と塗り薬で対処した。

 翌20日は退職者会の世話人会で、世話人はその日が会報の原稿締切日としていたから、早々に書き上げていなければ「アクシデントのため提出できない」という「事故」になるところだった。

   鬱の話では、真面目で責任感が強く理念に沿った行動を選択する人々は鬱になりやすいという規定があり、故に「明日できることは明日すればいい」というおおらかさが勧められたりするのだが、私などは頭では解っていてもそれができず、宿題は期日前に仕上げてしまっておきたいクチである。
 事実、何週間も前に原稿依頼していたのに、期日前数日のことを理由に、「体調を崩した」とか「他の用事で手を取られた」として原稿提出を断ってくるケースもあり、それが何度も続くと、ガックリすることがある。今日と同じ明日が必ずあると思うな・・である。

 蜂の巣のあった場所は普通に通行している場所の横であり、孫の凜ちゃんなら顔のすぐ横にあたるから、医院から帰ってくると直ぐに「退治」にかかった。
 再び大編隊で襲われた(蜂にとっては当然の逆襲だ)が、殺虫剤の噴霧と高枝バサミで勝利した。
 思い出せば、以前から庭中でアシナガバチを観察していたから、近くに巣がないかと気をつけていなければならなかったのにと、後の反省をしている。
 巣の形からはアシナガバチ(キアシナガバチ)だが、個体はまるでスズメバチの様だった。だいたいがアシナガバチはスズメバチ科である。

2024年8月19日月曜日

御霊を利用するな

   労働組合の産業別組織の近畿の役員をしていた頃、某組織の役員と護国神社の前でばったり会ったことがあり、その方から、父君か兄君が戦死されていたので、敗戦記念日にはどうしてもお参りに来たくなるのだと伺ったことがある。
 その方は立派な研究者(学者)でもあったから、魂の問題は単純には割り切れないものだと痛感した。
 という大前提を押さえつつ、先日あった政治家の靖国神社参拝と自衛官の集団参拝及び靖国神社での研修について一言書いておきたい。

 靖国神社は他の一般的な神社とは全く異なり、戦前は旧陸軍・海軍が管理して、天皇のために戦死した者を祀る施設であった。
 そして、朝ドラで話題になった「総力戦」のために、軍国主義を徹底して押し付ける「装置」であり、事実、死んで浄土や天国に行く奴は国賊だとまで喧伝した。仏教徒もキリスト教徒も行く先は靖国とされた。

 その基本的性格は戦後も変わらず、同神社の付属組織遊就館では今も過去の侵略戦争を美化し、さらにその上に、その侵略戦争を指導したA級戦犯までも合祀しているのである。

 人間の感情は、自尊心や優越感をくすぐる「おだて」、罪悪感やうしろめたさを打ち消してくれる「かばい」、そして外部から攻撃され何かを奪われているという「被害者意識」に非常に弱いといわれている。オリンピックのニュースはそれを証明していないか。「慰霊鎮魂」の感情はなおさらだ。

 そういう施設に政治家や自衛官が参拝するというのは、庶民の素朴な「慰霊鎮魂」の感情を利用して、戦前的な思想誘導の夢をもう一度というものである。
 それゆえに、かつて日本軍に蹂躙された国々も批判するのであって、その批判を真摯に受け止めることは自虐でも何でもない。

 自民党の次期総裁選が話題になっているが、党内最大派閥の安倍派の票を取り込もうと、より右寄りな主張をしたり、軍事おたくのような議論が無批判に「政局報道」として垂れ流されるのを、私たちは看過していてはいけない。
 (写真はネットにあった文春オンラインの写真だが、建国記念の日の橿原神宮でもこういう風に街宣車で乗り付けて示威行動をする)

2024年8月18日日曜日

原爆裁判

   「原爆裁判」を読み終えた。
 朝ドラを見ていても思うのだが、戦後という時期を安倍信奉者などは「脱却」などと言って毛嫌いするが、別の面から見ると「日本の青春」と言えるような気がする。

 現代社会でも問答無用で青年を戦場に送っている国、女は無能力者だと家に閉じ込めている国があるが、昭和前期のわが国は全くそのとおりの国だった。

 それを、昭和後期の「青年」は気概を持って試行錯誤しながら再建していったのだ。
 そんな一場面が「原爆裁判」ではなかったか。

 とりあえず、参考資料として書架に加えられてよい本だと思う。

2024年8月17日土曜日

井上皇帝の本など

   朝ドラ「虎に翼」で航一が、実は総力戦研究所に居たのに戦争を止められなかったと号泣して皆に謝罪する場面があったが、歴史の事実として総力戦研究所は「日本必敗」とシミュレーションしていたが、その後の歴史にその種の「当たり前の意見」は出てこなかった。

 私は趣味で古代史を勉強を始めたが、その一環として井上光貞著「わたくしの古代史学」という本を読んだことがある。
 講義を受けている小笠原好彦先生はこの先人のことを「あだ名は井上皇帝」とおっしゃったのを覚えていたが、そのあだ名どおり父は侯爵井上三郎、父方の祖父は桂太郎、母方の祖父は井上馨で、陸大一期上には東条英機、同期には山下泰文という人物であった。

 その本の中に「美濃部達吉博士の思い出」という小さな章があり、2.26事件の前年の昭和10年に天皇機関説事件(右翼の言いがかり)が起き、貴族院議員であった父井上三郎は貴族院でなされた博士の「弁明」の演説を聞き、「美濃部先生が滔々と自説を述べ、学説を一歩も曲げなかったので、議場は粛然として先生の去るのを惜しんだ」と家庭で聞かせてくれたと書いてあって、新鮮な驚きを覚えた。

 総力戦研究所のエリートも、貴族院議員の陸軍少将井上三郎も、軍部の暴走を知っていた。しかし彼らの声は表には出てこなかった。悪く言えば、誰もが声をあげなかった。そして、日本人310万人、中国人等は2200万人と言われる死者が生まれていった。
 15日の敗戦記念日を経て、「微力であっても無力ではない」、「口を閉ざすことは加担することに繋がる」と改めて噛み締めた猛暑の8月であった。

2024年8月16日金曜日

祖母ちゃんのマネ

   マイペースでゆっくりと成長している孫の凜ちゃんは私のスマホの写真を見るのが好きで、写っている従妹や場所などを語ったりする。
 

 先日も、東大寺大仏殿での茅の輪くぐりの写真などを見ながら「上手にくぐったね」などと誉めてあげて、さらに大仏殿奥の柱くぐりも「上手にくぐった」と誉めると、凜ちゃんに続いてくぐった祖母ちゃんがくぐった後バタッと倒れ込んだ写真があって大いに笑った。

 そのあと遊んでいて、凜ちゃんが変な格好で畳の上に寝そべっているので、「何をしているの」と心配して声をかけたところ、それは祖母ちゃんのマネということだった。

 あの写真から祖母ちゃんの倒れ込んだマネをしてみようと思った思考のプロセスは全くわからない。
 大人のマネをしたいというのは子ども共通の発想かもしれないし、あるいは「笑いがとれる」と考えたのかも。
 この孫のお陰で笑いが巻き起こるのだから天使である。

2024年8月15日木曜日

お盆の中日

   小さい頃は「黄金の日々」の堺旧市に住んでいたから、夏は毎日のように海水浴に行っていた。
 その海水浴はだいたいお盆頃に終了した。その理由は、
 ① 遠くであっても台風の影響が出て、お盆の頃からはいわゆる土用波といううねりが発生した。この引き波は危険だった。
 ② この頃から電気クラゲ(カツオノエボシ?)が大量に発生した。こいつは強烈に痛痒い。
 ③ そして、これが一番の理由だが、精霊流しで川から流されたいろんなモノが流れ着いて浜が汚れた・・からである。
 わが家は浄土真宗:真宗大谷派(東本願寺)であったから、大層なお盆の行事の記憶はなく、上記のようなことが私の「お盆の思い出」といえば思い出になる。

 さて、お盆は祖霊供養を核とする仏教行事ということで間違いはなかろうが、新聞の折り込みチラシを見ると、お盆の料理用の目玉は焼き肉用の牛肉とお刺身のオンパレードだ。
 祖母がいた小さい頃は「お盆だから精進料理」と言われていたのが嘘のようであるが、それもヨシだと思う。戦争のニュースを聞きながら精進料理もないだろう。ありのままがよい。

 「真宗の教義にはお盆はない」と書いたことがあるが、ネットを繰ってみると「お盆の行事」を大々的に謳っていた真宗のお寺があった。そしてそれもヨシ。何でも来いだ。
 凡人(私)にとっては、何らかのカタチをなぞってやっと先祖や人知を超えるチカラを思ったりすることができるのも事実だろう。日常でないことをしてみることで「そんなこと」が考えられる。
 というほど大層なことではないが、私は写真のように迎え火、送り火を焚いている。
 そしてお盆の行事食としては蓮の葉に盛った白蒸しを食べたいところだが、わが家近辺では入手できないので、赤飯を食べて、頭の中で白蒸しに変換している。南無~。

2024年8月14日水曜日

敗戦記念日

   8月15日は敗戦記念日である。一般的には終戦記念日と言われている。 
 先日、たまたま父親の遺品を見ていたら陸軍大臣名の恤兵金(じゅっぺいきん)の感謝状が出てきた。別に知事名の感謝状もあったから、大臣名のものは相当多額であったのだろう。
 そのお金を使って帝国陸軍はアジアの民衆を殺害していったのだから、多かれ少なかれ多くの国民は被害者であり加害者でもあった。
 
 その日付は昭和12年11月であるから、「今次事変」とは北支事変、後に支那事変と日本が呼んだ戦争の端緒、盧溝橋事件(昭和12年7月7日)と思われる。

 小さい頃、家には蒋介石政権の青天白日旗と砲弾の大きな欠片があった。叔父の戦利品?だった。
 砲弾の大きな欠片は刃物のように鋭利なもので、これは直撃されなくても破片であっても手足や首が切断されると思われた。

 それでも朝ドラ「虎に翼」ではないが、多くの青年、壮年が死んでいった戦争だった。
 忘れてはならないことは、普通の人間がそんなに人殺しである戦争などできるものではなかった。だから将校たちの思い出話を読むと、生きた捕虜を銃剣で突き刺す訓練が一番効果的な訓練だったと述べている。

 ウクライナの軍や兵士をどう思うかということはあるが、私や私の子や孫が、生きた人間を突き殺す訓練などする時代が来ないよう小さな声でも上げ続けたいと思う。

2024年8月13日火曜日

早朝散歩

   ときどき、早朝、日の出の頃散歩する。
 目的というほどのこともないが、季節の変化を探して歩いている・・というほど美しく上手い話は少なく、反対につまらぬ人間観察の散歩であったりする。

 例えば、散歩どおしの場合、普通に挨拶や最低限会釈をするが、中には難しい顔をしたまま通り過ぎる人がいる。男女は問わない。
 「再就職先でも歓迎されてこなかっただろうなあ」などと想像しながら行き過ぎる。
 そんなことで怒ったりしないが、そういう人の方が「近頃の若いものは」などと言っているのではないかしらん。

 マスクをしている、あるいは手に持っている人もいる。
 早朝の散歩道、前後10mに他人はいない。
 どう考えても熟慮の上でそうしているとは思われず、同調圧力を忖度したとしか想像できない。
 「ホンキでリスクを避けるなら医療用のマスクにしなさい」と心の中で呼びかける。
 他人がマスクをしていようがどうでもよいことだが、「世間の目」つまるところ「長いもの」に唯々諾々と従う人の少なくないことに背筋が冷たくなる。

 そんな中、全くの希少種だが、虫捕り網をもった孫と歩いている爺さんがいた。善き哉、善き哉。

2024年8月12日月曜日

巨大地震注意

   「巨大地震注意」が発令された。マグニチュード(M)7以上の地震の後、1週間以内のM8級以上の地震が起きることのあることは概ね理解されている。
 単純に言えば先の地震でズレた歪みがその周辺に影響するであろうことはそうであろう。だがそれがM8級以上の巨大地震として影響するかどうかは別問題で、そのことの計算というか予測は現代科学ではできていない。

 なので結局、1904年から2014年までの1437事例中6事例あったので「注意しろ」ということである。「6/1437」を多いと思うかどうかは微妙であるが、お盆休みの海水浴場を立入禁止にするのは何かニュース(広報)のための「見せしめ」のような気がしないことはない。
 漁業従事者や漁村に危険はないのか。何よりも数百年に1回の危険を防ごうというのがほんとうなら、先ず第一に海べりに立つ原発を止めるべきだろう。

 写真は8月11日にネットからダウンロードした大阪市のハザードマップの一部で、標題は「南海トラフ巨大地震の津波浸水想定」である。
 大阪市の西半分は浸水するが、海に突き出た北から舞洲、夢洲、咲洲は大丈夫らしい。夢洲が万博会場、カジノ会場である。
 ほんとうだろうか。こんなことをしているから「巨大地震注意」の本気度が疑われる。

 先日来、ちょうど中公新書・伊藤孝著『日本列島はすごい』を読んだところだ。
 多くは書けないが、日本列島は世界中でも稀な土地らしい。直ぐ西の半島や大陸とも大きく異なり、世界中の島国とも大きく異なる。
 地震、火山、台風などは恐ろしいものだが豊かさの素でもある。
 タイトルの「すごい」という言葉は、辞典では「ぞっとするほど恐ろしいさま」ともあり、一面的な誉め言葉ではないという。

2024年8月11日日曜日

稔りの秋(とき)

   暦は秋、「そんなあほな」と言っている人間を尻目に、早朝散歩の草むらはキリギリスよりも秋の虫が多数派になっている。暦どおりである。

 今年の家庭菜園の夏野菜は総合評価で落第だった。
 連作障害対策でプランターにしたのだが、草花用の標準的なプランターに胡瓜を2株植えたのが原因だった。その上に猛暑が続いたので収穫量もイマイチだった。
 その最後の胡瓜が写真のものだが、肥料不足もあり、形も悪い上にけっこう苦みも効いている。
 今年の失敗を忘れないように、その苦みをじっくり味わっているところだ。

 不作というと日本国中で米不足がニュースになっている。
 不作の上にインバウンドの外国人が「ご飯が美味しい」と消費しているからとニュースは語っていたがほんとうだろうか。
 サンマにしてもお米にしても、日本国中にかん口令を牽いて「サンマもお米も美味しい」と言うのを禁じるしかないか?

 なお、不作の原因には気候変動があるという。以前に書いたが、新潟は魚沼の知り合いがかのブランド「魚沼産コシヒカリ」の作付けを止めて「新之助」にしたという。味もそうだが、温暖化の影響だとか。

 そういう中、「巨大地震注意」の発令もあってか、イオンの売り場のお米が空っぽになっていた。エエエエエエ・・・・・。
 わが家は日常の買い物であったのだが、買い占め、買いだめなどが起こっているのだろうか。
 紛争地などではこういうことになっているのだろうなと、変に感心した。
 新米が待ち遠しい。

2024年8月10日土曜日

イスラエルの自衛権

   今日はパレスチナ問題全般について論文を書くつもりはない。
 8月9日の長崎平和祈念式典に主催者である長崎市がイスラエルを招待しなかったことに対して、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ドイツ、イタリア、EUの各大使が欠席したことについて、「はて」と意見を書く。
 約めて言えば、「ガザでイスラエルが行なっているのは「自衛の措置」で、ウクライナに侵攻しているロシアとは違う」。「だからロシアと同じように招待しないのは間違ったメッセージだ」という主張のようだ。
 
 確かに、今般の問題だけに限ればハマスによるイスラエル侵攻と人質拉致に端を発している。だからハマスも悪い。こんなことは支持できない。
 だからといってイスラエルが何をしても良いということにはならない。
 個人の喧嘩でも「過剰防衛」というのがあるし、そもそものハマス側の「動機」もあろう。

 私はイスラエルとパレスチナは両国が共存すべきであって、相互に相手の消滅を図るべきではないと考えている。それは1993年のオスロ合意の内容でもある。
 しかし、その後イスラエルの政府を握った右派政権は、例えば壁の建設によってパレスチナの経済活動等を囲い込み、さらには入植という名の下にパレスチナの地に徐々に進行し、自分の住居や畑を守るために抵抗する者は容赦なく殺害していった。長崎の式典欠席国はこれらの事実を認めないのか。

 いわゆる先進国がイスラエルの蛮行を咎めない下で、民衆が卵や飛礫を投げて抵抗したのがインティファーダだった。村上春樹氏がエルサレムにおいて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」とスピーチした勇気が欠席国にはないのか。

 実際、イスラエルがガザで行っていることといえば、病院や学校その他の無差別爆撃、4万人を超えたジェノサイドでないのか。

 欠席国は核保有国と核の傘の国である。彼らは「長崎市の態度が政治的だ」と言っているようだが、私には、核のない平和な世界を祈念する式典に政治的思惑を持ち込んだのは欠席国だと思う。

 ガザで起こっている現実は、決してイスラエルの自衛権として許容できるものではない。

2024年8月9日金曜日

長崎の鐘

    今日は79年前に長崎に原爆が落とされた日。
 わが労働組合の先輩のFさんは当時長崎に住んでいた。
 ただ戦況が思わしくなくなって、8月7日、つまり2日前に爆心地近くの住居から少し郊外に転居されていた。(歴史にifはないというがもし転居されていなかったら亡くなっていた可能性が高かった)
 当日は、爆心地近くの中学校に通学されていて、空襲警報で防空壕に避難の後、警報解除で下校された。(もし防空壕の中だったら丸焼けになっていた)
 下校するとたまたま運よく汽車が来てそれに乗ることができた。(汽車が来なければ、または遅れていたら駅で即死だっただろう)
 汽車が長与駅まで来た時に列車の中で原爆に遭った。(列車から出ていたら直接被爆していた)
 長与駅では爆心地方面から逃げてきたまるで幽霊のような被爆者を介護した。その翌日からは人を探したり爆心地を歩き回った。
 ifの繰り返しで生き延びられたが、亡くなられるまで原爆手帳は「証人がいない」としてもらえなかった。だから長崎の被爆者の統計には数えられていない。

 こういう話を聞くと、人生というものもifの積み重ねで儚いと思うが、そういう体験もあってFさんは原水禁運動に一貫して参加されていた。

 さて、それでも私は広島や長崎に知人は居ないし学校でも教えられなかったからよくは知らないという意見がある。
 しかし、少しその気になったら多くの事実を知る機会はたくさんある。
 そんな場合、「知らなかった罪」「知ろうとしなかった罪」がないだろうか。そんな罪が集合して戦争・戦時体制というものが出来上がったことは歴史が教えている。
 「声をあげなかった罪」もまた同様な気がする。

 原爆投下目標は、小倉や京都やいろんな都市があげられていた。だからFさんは私であったかもしれないし、貴方だったかもしれない。あるいはその親・・・。
 今日は、そういうことを振り返る日でもある。

2024年8月8日木曜日

昆虫採集

   熱中症アラートとやらで子どもたちが外で遊ばないという理由だけではなく、
虫捕りとか昆虫採集という日本語は完全に死語辞典に入ったようだ。

 私がスマホでセミの撮影がてら散歩していても、誰一人として虫捕る子どもに出くわさなかった。ああ。
 ドイツでは環境保護のため昆虫採集が禁止されていると聞くが、子どもの昆虫採集では自然は損なわれない。昆虫の減少や絶滅は環境破壊による。

 反対に、昆虫採集もしない子どもには、クマゼミとアブラゼミの出てくる季節の微妙な違いや鳴く時間の違いは判らないのではないだろうか。昆虫採集するほど環境を大事に思うと私は考える。
 虫も捕らない子どもが環境を衰退させるのだ。

   孫の夏ちゃんは祖父ちゃんとよく虫捕りをしたものだが、どういう訳か孫の凜ちゃんは興味を示さず祖父ちゃんは少し寂しい思いをしている。せめて空蝉ぐらいと思って渡してあげると投げ捨てて踏みつぶした。おお。

 さてアブラゼミの名前の由来については、翅が油を塗ったように光っているからという説があるが、実際には光沢のない翅もあるからその説には私はあまり賛同できない。
 それよりもジリジリジリと油で揚げているような声だからという説はピッタリくる。
 ただ、いつ頃からそう呼ばれたのかが問題で、そんな昔に「油で揚げる調理」が共通認識になるほど普及していたのだろうか。
 三球・照代ではないけれど、考えると眠れない。

2024年8月7日水曜日

くわ焼きの重し

   昨日一昨日と直球勝負であったので今日はスローカーブの変化球。

 ネット社会と言われて久しいが、特にノウハウのようなものをちょっと調べるのには随分と便利になった。
 先日のイクジイの日の料理のオーダーは「豚肉の生姜焼き」で、ネットを検索してみるとナルホドと参考になる箇所がいくらかあった。
 そこを取捨選択して適当に手抜きなどして写真のとおり結構な量を焼き上げたところ、ネットのレシピについている写真よりもきれいだと妻に褒められた。

 ネットの写真の生姜焼きの肉の多くはころころと縮んで丸まっていたが、私の肉はお店で出てくるように広がっていたからだ。

 その秘密兵器は手前のフライパンに写っている重しのコテで、何十年も前に手に入れた「くわ焼き」用の調理用具だった。
 近頃では、これもネット通販で「ミートプレス」と検索すれば容易に購入できる(値段も嘘みたいに安い)が、私が手に入れたときは、ミナミの道具屋筋で「くわ焼きのときにこうやって押さえるコテみたいなもん」と言ってようやく手に入れた。

 台所が手狭になって邪魔だ!と何回も廃棄処分の対象になった道具だが、その妻から、値打ちがあると認められ、自分が褒められたような気になった。

2024年8月6日火曜日

フラッシュバックに寄り添う

   若くして労働組合の中央本部に出て広島支部で語り合った折、原水禁運動について、「8月6日に旅行のように来る人々」と冷ややかに語る青年がいて、「それでは被爆者以外は原水禁運動ができないということになるではないか」と心の中で呟いたが、まもなく広島支部は被爆体験記を編むなど着実に平和運動を重ねたことを思うと、あの冷やかさは「もっと実情を尋ねてほしい」という声の裏返しではなかったかと理解できるようになった。

   私は毎年8月には同じことを書くが、その中国地協(広島支部)には有名な議長がおられ、当局でさえ恐れられていた。
 その議長が日本代表団の一員として国連本部などに行き、アメリカの大きなテレビ番組にも出て被爆の実態を訴えてきて帰国の後、我が組合で報告をした夜、議長と私が会館の同部屋で宿泊した。

 その真夜中、この文章では全く言い表せない大声で恐怖にひきつったうめき声を叫ばれた。私は正直心臓発作かと思ったが、翌朝議長は、「夕べ叫んで寝られなかったことはないか」と尋ねられ、「昼間に原爆の話をした夜は必ずうなされるんじゃ」「そいじゃけ、わしゃあピカドンの話をするのは好かんのじゃ」と補足された。

 当時すでに30年~40年前の出来事だが、死にそうな声をあげざるを得ない悪夢だったのだ。精神医学でいうフラッシュバックだ。

 そのフラッシュバックを背負っていない者は原水禁運動はできないというなら、それは社会運動にはならない。人間は他人の経験を同じに「経験」できないが、推し量り理解に近づくことはできる。また、その努力こそが経験しなかった者の人間としての誠実さだと思う。
 偉そうなことは言えないが、毎年この話を書いて自分自身の反省にしている。

 核兵器廃絶のための世界情勢は一見困難だが、核兵器禁止条約を支持する国際世論は着実に増えている。非核地帯条約を結ぶASEAN同様の取り組みは世界各地で広がりつつある。すべての真理は最初はみんな少数派であった。

2024年8月5日月曜日

八月や

    八月や六日九日十五日 

   「核兵器を持つことによって戦争を抑止できる」というのが核抑止力論だが、ロシアもイスラエルも「俺たちはいつでも使えるんだぞ」と戦争の道具(威嚇)に使っている。
 この現実は核抑止力論が「マボロシー」でしかないことを証明している。
 そうして、最もリアルな脅威はというと『何かの行き違い』で「相手が発射した」という誤解から使用されることではないだろうか。その先の核戦争に勝者はない。
 明日八月六日はヒロシマ被爆の日。何でもよいからヒロシマ、ナガサキに関する本を読み返す日にしたい。

 さて、後輩たちに聞くと、労働組合未加入者が増えている。それは町内会やPTAなどを見ていても察しが付く。これまでの常識・・いつまでもあると思うな!である。
 だから「語り継ぐ」ことがほんとうに大事になっている。その方法は何でもよいから、高齢者は行動しなければならない。「語り継ぐことが大切だ」という言葉を何回繰り返しても、実際に語らなければ何の役にも立たない。

 次に、原発は負の核兵器だということも強調したい。
 ロシアはザポリージャ原発を攻撃した。ウクライナがホンキで反撃(攻防)すればフクシマの何十倍もの過酷事故となる可能性があった。
 だからウクライナはこの重要施設をあっさりとロシアに明け渡した。
 原発は原子炉が破壊されなくても、送電や給水システムが止まると核兵器並みの事故になる。原発が狙われると核兵器の威嚇と同じ意味を持つ。
 日本列島は、全世界の陸地面積の約0.3%だが、そこに世界中の約10%の原発が林立している。
 そこの指導者が台湾有事だとか敵基地先制攻撃だとか叫んでいる。マボロシーだ。
 2024年8月・・・6日9日15日。ほんとうに議論し各自が意見を発しなければならない。

 日露戦争のとき、現実から程遠い戦況報道で「勝った勝ったまた勝った」とした結果、ポーツマス条約の現実性が理解できない民衆が日比谷焼き討ち事件となりその後の政治を結局戦争へと縛っていったが、反中、反韓などを煽って自民党の多数派になった面々が、今さら平和外交など語れなくなっている今日の状況は共通していないか。
 都知事選の石丸現象などを見ると、それは単なる危惧ではないように思う。

 八月や六日九日十五日。コメント歓迎。

2024年8月4日日曜日

暑気払い

   暑気払いいつしか話題は墓じまい (川柳もどき) 

   元気の素を補って猛暑を乗り切ろう!と集った暑気払いも、飲み物のペースも落ち夜も更けてくると、話題はいつしか墓じまいになっていた。

 朝ドラではないけれど、家父長制の下では女性は無能力者で、男子(長男)が家やお墓を継いできたが、一夫一婦を基本とした現制度上はそれはもういろいろ馴染まなくなっている。
 それに、子どもたちが遠くへ転居してしまうのも普通のことである。
 いきおい、墓じまいが非常にリアルな課題になってきて、少子化の下では、現実に墓は「負動産」と言われたりしている。
 私の場合も孫の代にどうなるかわからない事情がある。

 私自身は、原理主義的な無神論ではなく、というよりも、汎宗派とでもいうような言葉があればよいが、そんなイメージの、宗派を超えた仏教徒と言われてよいと思っている。
 とすると、「そこに私は居ません」の 〽千の風になって ではないが、子や孫が比較的馴染むお寺や仏像や僧侶に接したとき、その向こうに先祖(私など)をイメージしてくれたらそれでよいと思っている。

 暑気払いの席も、どういう訳か娘さんばかりの人が多く、けっこう私の意見への共鳴も多かったように思う。で、明るい墓じまいの話になった。
 ただこの種の「心の問題」には正解も誤答もなく、お墓の建立も、散骨も、都会の納骨堂もいろんな選択肢を納得して選べばよいと私は思っている。

2024年8月3日土曜日

吉兆虫

   若い頃は(と言い始めたらトシいった証拠?)夏男だったが、今は猛暑に恐怖を感じて巣籠りしている。ご同輩の皆様は如何?
 そんな皆様にも、善き事を運んでくるという吉兆虫の写真を一枚。(ピンボケなのは恥ずかしい)
 タマムシの名前の由来は、玉=宝石のように美しい虫というらしいが、お盆前のこの時期、私には魂虫に見えてくる。

 鳥に捕食されないための構造色(金属の光沢)などという説明は野暮というもの。
 進化論を超えた美しさには魂虫が相応しい。

 けっこうすばっしっこい小さな虫を望遠レンズで捉えるのは難しい。
 こんなピンボケでも許していただきたい。

 吉兆虫・・・きっと善き事が起こるに違いない。

2024年8月2日金曜日

キーマカレー レシピ

   イクジイの日は孫の凜ちゃんはわが家で夕食をとる。そして同じ夕食を凜ちゃんのお父さんお母さん用に持って帰らせる。そのために事前に料理のリクエストを受けるのだが、それが主にフライパン料理だと私がシェフになる(こともある=いつも担当しているかのような顔をするなの声あり)。 

   先日のオーダーそれはキーマカレーだったので私が当番となったが、結果、これの評判が好く、「何を入れたの?」と娘からも妻からも尋ねられた。
 曰く「甘くて美味しかった」と。

 私としては、今回は、香辛料などは日頃より種類が少なめの手抜きだったのに・・。

 正解は大量の玉ねぎのみじん切りを飴色の団子(ペースト)になるまでフライパンで徹底して炒めたこと。
 聞いてはいたが、飴色玉ねぎは「洋食」のAでありZだとつくづく思い知った。

 後で、そのことの追認のためにネットで検索すると、「フライパンで長時間炒める必要なし」「レンチンで即美味しくなる」とあった。あああ
 でもね、炒める段階でもいくらかのスパイスを加え、長時間徹底して炒めた味にはかなわないだろうと強がりを言ってみたが、次回以降はレンチンも採用してみようかな。
 飴色玉ねぎバンザーイ!

2024年8月1日木曜日

うちわ菓子

   民俗などという言葉を振りかざさなくても生活習慣や行事というものはおもしろい。
 もともと旧暦(太陰太陽暦)で長く暮らしてきた人々が、新暦(太陽暦)に切り替わったとき、大きくは、①ストレートに新暦に切り替える。②旧暦のまま切り替えない。③新暦はおよそ1月早くなったので1月遅れの新暦を適用する。の3通りの選択があった。

 そこで①だが、圧倒的なお正月は①の新暦で行われている。ただこれだと3月3日の桃の節句に桃は咲いていないし、7月7日の七夕はまだ梅雨の真っ最中となっている。もっといえばお月見は新暦ではどうしようもない。

 だからといって②の旧暦は使いづらいしということで、例えば秋祭りなどは発想を転換して〇月の土日とか連休にする場合も多い。そんなことで、③の、月遅れのその日に実施するというのも一種の知恵だっただろう。

 そこでお盆のことだが、全国的に見ると②の旧暦の7月16日前後というのは少なくなり、東京周辺の①の新暦7月も圧倒的というほどには広まらず、生活の知恵みたいな③の月遅れの8月のお盆が大勢というのも面白い。
 しかも、東京への人口の集中は、東京での8月お盆の風習の増加を来しているという文章もある。

 多くの文献では、新暦7月は農作業が忙しく普及しなかったとあるが、明治維新前後の都会であった京、大阪でも7月のお盆は普及していないから、商家の藪入りの風習も7月に馴染まなかった理由かもしれない。
 ようするに、7月のお盆は馴染まないし、お盆は8月がピッタリくる。

   ところが、近所の全国展開のスーパーは7月のお盆目指して品物を並べる。といってそれでは関西では馴染まないからそのまま8月のお盆までラインナップを続けている。

 スーパーのお盆の品物は、わが家ではあまり身近でない。
 そも浄土真宗本願寺派(お西)や真宗大谷派(お東)は基本的にお盆という教義がない。それでも、何かの型がないと反省もしない凡夫たる私は、教義にはないが迎え火、送り火などをする。

 その一つとして盆菓子も購入するのだが、それはただ1品、うちわ菓子だけというのが近年のしきたりなのだが、どういうわけかこのうちわ菓子、7月のお盆に向けては並ぶのに、それ以降は例のスーパーに並ばない。
 だから去年は通販で購入した。
 今年は7月早々に購入して冷凍室で湿気ないよう保管して、仏様ならぬ孫が来るたびに祖父ちゃんと一緒に食べて季節を感じている。