言うまでもなく有事とは戦時体制のことである。KTは「戦争前夜だ!」と言いたいのだろう。
政治家が国内に向かってそういうときは、「権利だとか民主主義などと言う者は敵だ」「国民精神総動員だ」と言いたいときである。
先日の『井上皇帝』で書いたとおり、美濃部達吉博士・貴族院議員の天皇機関説に対する糾弾・弾圧の際も、多くの軍人を含むエリートたちも「あれ(糾弾)は一部の特異な意見だ」と傍観しているうちに、全国民がおかしいことを「おかしい」と言えない時代が生まれていった。
半藤一利氏の本に紹介されていた「主婦の友」昭和19年12月号はルーズベルトの「日本処分案」として次のとおり紹介している。
【働ける男を奴隷として全部ニューギニア、ボルネオ等の開拓に使うのだ。女は黒人の妻にする。子供は去勢してしまう。・・日本本土に上陸したら、虐殺競演(コンクール)をやろう。女は別である。・・】
こんな宣伝に「そんなあほな」と言えば特高警察にしょっ引かれる時代があった。
「さすがにそれは・・」と思っていても、気づいたときには口に出せない時代がほんとうにあった。
KTの「・・有事の今こそ」に大きな不快感を覚えた理由はそこにある。
「J党の党内の話だから」と見逃さず、現政治制度下では事実上の内閣総理大臣選挙でもあるから、「どさくさに紛れて有事などと言うな」という批判の声をあげていきたい。
「有事」というのは呪いの言葉、詐欺師の言葉である。
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