2024年8月6日火曜日

フラッシュバックに寄り添う

   若くして労働組合の中央本部に出て広島支部で語り合った折、原水禁運動について、「8月6日に旅行のように来る人々」と冷ややかに語る青年がいて、「それでは被爆者以外は原水禁運動ができないということになるではないか」と心の中で呟いたが、まもなく広島支部は被爆体験記を編むなど着実に平和運動を重ねたことを思うと、あの冷やかさは「もっと実情を尋ねてほしい」という声の裏返しではなかったかと理解できるようになった。

   私は毎年8月には同じことを書くが、その中国地協(広島支部)には有名な議長がおられ、当局でさえ恐れられていた。
 その議長が日本代表団の一員として国連本部などに行き、アメリカの大きなテレビ番組にも出て被爆の実態を訴えてきて帰国の後、我が組合で報告をした夜、議長と私が会館の同部屋で宿泊した。

 その真夜中、この文章では全く言い表せない大声で恐怖にひきつったうめき声を叫ばれた。私は正直心臓発作かと思ったが、翌朝議長は、「夕べ叫んで寝られなかったことはないか」と尋ねられ、「昼間に原爆の話をした夜は必ずうなされるんじゃ」「そいじゃけ、わしゃあピカドンの話をするのは好かんのじゃ」と補足された。

 当時すでに30年~40年前の出来事だが、死にそうな声をあげざるを得ない悪夢だったのだ。精神医学でいうフラッシュバックだ。

 そのフラッシュバックを背負っていない者は原水禁運動はできないというなら、それは社会運動にはならない。人間は他人の経験を同じに「経験」できないが、推し量り理解に近づくことはできる。また、その努力こそが経験しなかった者の人間としての誠実さだと思う。
 偉そうなことは言えないが、毎年この話を書いて自分自身の反省にしている。

 核兵器廃絶のための世界情勢は一見困難だが、核兵器禁止条約を支持する国際世論は着実に増えている。非核地帯条約を結ぶASEAN同様の取り組みは世界各地で広がりつつある。すべての真理は最初はみんな少数派であった。

2 件のコメント:

  1. 今朝の「ヒロシマ平和式典」で国連事務総長のメッセージを代読した中満さんは
    「核兵器の脅威をなくす唯一の道は核兵器の完全なる廃絶である。昨今、世界的な不信と分断は深まる一方です。核戦争をせずに冷戦を終わらせることができたのは単なる幸運にすぎなかった、という事実にあまりにも多くの人が気付いていません。私たちは同じような「運試し」をすることはできません」と代読していました。
    岸田首相は新たな核廃絶の取り組みだ、と横文字を並べた空虚な挨拶をしていましたが被爆国としての具体的な、もっと心に届く言葉、取り組みを聞きたかった。

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  2.  ひげ親父さん同感です。広島市長や広島県知事のそれも内容を感じました。
     なぜ同じように広島出身の首相が語れないのか。この国のアメリカに従属した悲しい現実を思い知りました。
     日本のマスコミの洪水の中にいると軍事力増強以外の道がないように思わされますが、広島平和式典はその考えが世界中では少数で間違った道であることを示したと思います。

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