2024年8月10日土曜日

イスラエルの自衛権

   今日はパレスチナ問題全般について論文を書くつもりはない。
 8月9日の長崎平和祈念式典に主催者である長崎市がイスラエルを招待しなかったことに対して、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ドイツ、イタリア、EUの各大使が欠席したことについて、「はて」と意見を書く。
 約めて言えば、「ガザでイスラエルが行なっているのは「自衛の措置」で、ウクライナに侵攻しているロシアとは違う」。「だからロシアと同じように招待しないのは間違ったメッセージだ」という主張のようだ。
 
 確かに、今般の問題だけに限ればハマスによるイスラエル侵攻と人質拉致に端を発している。だからハマスも悪い。こんなことは支持できない。
 だからといってイスラエルが何をしても良いということにはならない。
 個人の喧嘩でも「過剰防衛」というのがあるし、そもそものハマス側の「動機」もあろう。

 私はイスラエルとパレスチナは両国が共存すべきであって、相互に相手の消滅を図るべきではないと考えている。それは1993年のオスロ合意の内容でもある。
 しかし、その後イスラエルの政府を握った右派政権は、例えば壁の建設によってパレスチナの経済活動等を囲い込み、さらには入植という名の下にパレスチナの地に徐々に進行し、自分の住居や畑を守るために抵抗する者は容赦なく殺害していった。長崎の式典欠席国はこれらの事実を認めないのか。

 いわゆる先進国がイスラエルの蛮行を咎めない下で、民衆が卵や飛礫を投げて抵抗したのがインティファーダだった。村上春樹氏がエルサレムにおいて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」とスピーチした勇気が欠席国にはないのか。

 実際、イスラエルがガザで行っていることといえば、病院や学校その他の無差別爆撃、4万人を超えたジェノサイドでないのか。

 欠席国は核保有国と核の傘の国である。彼らは「長崎市の態度が政治的だ」と言っているようだが、私には、核のない平和な世界を祈念する式典に政治的思惑を持ち込んだのは欠席国だと思う。

 ガザで起こっている現実は、決してイスラエルの自衛権として許容できるものではない。

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