2024年8月9日金曜日

長崎の鐘

    今日は79年前に長崎に原爆が落とされた日。
 わが労働組合の先輩のFさんは当時長崎に住んでいた。
 ただ戦況が思わしくなくなって、8月7日、つまり2日前に爆心地近くの住居から少し郊外に転居されていた。(歴史にifはないというがもし転居されていなかったら亡くなっていた可能性が高かった)
 当日は、爆心地近くの中学校に通学されていて、空襲警報で防空壕に避難の後、警報解除で下校された。(もし防空壕の中だったら丸焼けになっていた)
 下校するとたまたま運よく汽車が来てそれに乗ることができた。(汽車が来なければ、または遅れていたら駅で即死だっただろう)
 汽車が長与駅まで来た時に列車の中で原爆に遭った。(列車から出ていたら直接被爆していた)
 長与駅では爆心地方面から逃げてきたまるで幽霊のような被爆者を介護した。その翌日からは人を探したり爆心地を歩き回った。
 ifの繰り返しで生き延びられたが、亡くなられるまで原爆手帳は「証人がいない」としてもらえなかった。だから長崎の被爆者の統計には数えられていない。

 こういう話を聞くと、人生というものもifの積み重ねで儚いと思うが、そういう体験もあってFさんは原水禁運動に一貫して参加されていた。

 さて、それでも私は広島や長崎に知人は居ないし学校でも教えられなかったからよくは知らないという意見がある。
 しかし、少しその気になったら多くの事実を知る機会はたくさんある。
 そんな場合、「知らなかった罪」「知ろうとしなかった罪」がないだろうか。そんな罪が集合して戦争・戦時体制というものが出来上がったことは歴史が教えている。
 「声をあげなかった罪」もまた同様な気がする。

 原爆投下目標は、小倉や京都やいろんな都市があげられていた。だからFさんは私であったかもしれないし、貴方だったかもしれない。あるいはその親・・・。
 今日は、そういうことを振り返る日でもある。

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