それでいて、いつかどこかで、東大寺のお坊さんが「東大寺本坊の庭にこの花が咲いていて見事なものですよ」と語られていたということは思い出す。
もしかしたら「斑(まだら)呆け」とはこんな感じなのだろうかと想像したりする。
写真は拡大しているので、ほんとうは小さな花だ。
近頃はスマホでパチッと撮ればすぐに名前が出てくるというアプリが幾つもあるようだが、容量を食いそうなのでインストールしていない。
そこで、「春の雑草」「スミレに似た草」「紫色の雑草」などなどと検索項目を微妙に変えていろいろ試してみたが、キランソウ、トキワハゼ、カワセミソウ等々これもいろんな写真が出てくるが、どうも記憶の底とも合致しない。
そんな話をしていると妻が書架から本を引っ張り出してきて、「ここに付箋までついてるよ」と。・・・答は(ムラサキ)サギゴケ。確かに私の字で「サギゴケ」という付箋までついている。もちろん、そんな付箋までつけた記憶はない。やはり健忘。
その本は『四季の野草』山と渓谷社・全3巻で昭和55年発行。古い付き合いの本だ。
それに、昭和55年当時定価1500円×3巻だから、なかなかの本を購入していたことになる。
「ヨーッ太っ腹」と昔の自分を誉めてみた。
もの忘れのことを書いてきたが忘れてはならないものがある。そのことについて2024年4月13日朝日夕刊の『素粒子』が素晴らしいので引用する。
🔳素粒子🔳
ミャクミャク様のお告げかもしれない。くしくも万博開催まで1年という節目に、ギャンブル依存症のおそろしさを知る。
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「出禁」発言が「大阪ジョーク」なら、「いのち輝く未来社会」描く万博の隣地にカジノはブラックジョークじゃないの。
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「もう1回チャンスをくれ」「これ以上借りないから」と沼にはまった元通訳。「夢よもう一度」は、ときに呪いにもなる。
・・・ジャーナリストの常識と良識を見たようで心に染みた。
勢津子さんでしたね。良きパートナーですね。
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