先日の第25回は、野村芳太郎監督に付いた助監督時代というから1950年代のことだろうが、「あの当時、映画人は活動屋と呼ばれていて、堅気の勤め人と違って服装も生活態度もちょっと派手で崩れたところがあり、それがまた得意だったりし。要するに活動屋は堅気ではなかった」というくだりがあった。
一方、野村芳太郎や山田洋次はそのような「活動屋」であることを拒否していたという。
そういう時代ということでは、私はとっさに勝新太郎のことが頭に浮かんだし、美空ひばりと興行主のことが頭に浮かんだ。
そういえば1946年に婦人参政権が認められるまでは女性は一人前の人間扱いされていなかったし、1958年に売春禁止法が施行されるまでは公娼制度が存在していた。1950年代はそういう前時代を濃厚に引きずっていた。
さて、そのような古いムラ社会を否定するのはけっこう困難なことだろうが、時代は大きく変わっている。
話は大きく飛ぶが、ハリウッドあたりでも絶大な権力の下に「当然」と見て見ぬふりをされてきた性被害も鋭く告発される時代である。
日本でもジャニー喜多川の犯行が糾弾されている。
そういう時代に、古いムラ社会の意識を引きずっていたのが話題の芸人グループだろう。
そしてそういう因習を見て見ぬふりをしてきた会社や、その会社と株式を通じて利益を一にする一部メディアの姿勢がいま問われているのだと思う。
私自身古い人間だから、何故事実を認めて迷惑をかけたであろう人達に謝らなかったのかと思う。
事実無根などというから抜き差しならなくなるのではないのか。
火野正平を見習わないかと思ったりする。これは失言か。
こんなニュースで、アテンドという英語に新しい意味が増えたことを知った。
ジャニーズ事件でも、マスコミ特にテレビ業界のもたれあいの姿勢は酷かった。 今回でも、そういう問題がないかどうか注視しておく必要があるように思う。
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