一昨年に思いっきり強剪定を行なったので、前年に伸びた枝に実をつける柿は去年は不作だったが、そのまま放ったらかしにした今年はたくさん実をつけた。
自然摘果に任せたので数は多いが形は小さい。それでもたわわに実った光景は見ていて楽しい。
わが家の柿はどちらかというと晩熟なのでゆっくり熟すのを待っているが、よし、赤くなってきたと収穫すると実は鳥に大きく喰われていたりする。
主にはヒヨドリだが、メジロも多い。メジロは何となくかわいいからそのまま眺めているが、喰われた柿を見ると複雑な感情。
柿の収穫は高いところは木によじ登るが、中以下は私が高枝挟で伐って妻がたも網で受ける。たも網を購入したときレジの人に「どちらへ行かれるのですか」と釣り場を尋ねられて少し恥ずかしかった。
柿といえば、正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」があまりに有名だが、子規の日記では、昨日の般若寺から南へ行った東大寺転害門近くの奈良屈指の旅館對山楼(たいざんろう)に投宿しサービスの柿が美味かったとあるから、リアルに着想通りであれば「柿くへば鐘が鳴るなり東大寺」であっただろう。
ただ想像すると、奈良県は明治9年に堺県そして大阪府に吸収され、苦難の奈良県再設置運動の結果ようやく明治20年に再設置されたが、その間、メーンストリートであった京街道の衰退は著しかったという。今でいうシャッター通り。
子規の旅行の明治28年10月の東大寺転害門周辺はまだそういう詩情に欠ける街だった。そこで子規はもっと長閑な農村風景の中にたたずむ法隆寺にしたのではないか。・・と想像の翼は広がる。
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