ガラケーは携帯電話に若干のネット機能をつけたもの、スマホはパソコンを超小型化したものといわれている。
よく似ているが全然違うのだという。ただし私はそのことが十分には解っていない。それでもそうであるらしい。
機械音痴の妻がアンドロイドのスマホに切り替えた。
小学1年生の孫のスマホの知識にショックを受けて挑戦する気になったのだ。
そして取扱いその他について私に質問するのだが、私のスマホはiPhoneなので全般に微妙に異なり、その結果、私も最初からスマホを勉強をし直す感じになっている。
「高齢者の日常生活はガラケーで十分」という意見がある。事実そのとおりだとも思う。
しかし、世の中に普及している諸々のことに「もういいわ」と思ったら人間すべからく進歩が止まるとも思う。たかがスマホ、されどスマホである。
酒席で「時代遅れ自慢」は自虐的に楽しいが、素面(しらふ)でいえば新しいことに挑戦する困難を避けている言い訳に過ぎないことが多い。ほとんどそうだ。スマホ以外の局面でも「私はできないので」という文句を逃げ口上にしている。
「お前がスマホを作ってみろ」と言われると手を上げるが、人間の作った道具(スマホ)の使用方法ぐらい「負けてたまるか」という気で着いて行きたくなる。
「外でフリーのWi-Fiを使うときの注意」など、妻から質問されて初めて考え直したことも多い。
妻は知らぬ間に息子とLINEで会話をしている。
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