5月10日に今城塚古墳の水鳥の埴輪について「あれは鳥飼部の服属儀礼だ」と書いたが、その際にあえて触れなかったのは鶏の埴輪についてだった。
考古学的には鶏型埴輪は水鳥その他の形象埴輪や人物埴輪よりも以前から出現しており、今城塚古墳でも整列させられた水鳥とは全く別に建てられていた。つまり、これは鳥飼部の服属儀礼を造形しているものとはとても思えない。
つまりそれ以前から、鳥飼部の服属儀礼とは”異なる思想”で鶏は重要視されていたらしい。その思想を「鳥の霊性」と考え、今後順次記述していきたい。今日はその1である。
歳をとると3時だとか無茶苦茶早く目が覚めたりする。
そうすると、4時前頃だろうか、空が白けてくるもっと以前に鳥たちが起き出して鳴き叫ぶのを聞く。重ねていうが夜明けのもっともっと前である。夜明け前頃にはその声は非常に小さくなる。
古人もこれを聞いていたに違いない。
それを鳥が、夜明けを、太陽を、呼んでいると理解したと想像することは困難なことではない。
日の出が「生」の、「再生」の、シンボルであることも疑いない。
古代エジプトではその行動形態からスカラベが太陽の運行を司る神とされたが、東アジアの祖先は「太陽の運行を司る鳥」という思想を持ったと私は未明のベランダで確信した。
古事記はアマテラスが岩屋戸に籠った際、神々が相談してまず最初に『常世の長鳴鳥』を集めて鳴かせたことを記している。
太陽神アマテラスは岩屋戸の中だから、長鳴鳥は「朝が来た」と鳴いたのではなく、「朝よ来よ」「出でよ」と鳴いたに違いない。
こういう思想はどこから来たのか、いろんな角度から今後考えて書いていきたい。
「発想の転換」という言葉があるが自分自身でそれを実感した。つまり、鳥は夜が明けるから鳴くのでなく、鳥が鳴くから夜が明けるのである。それが古人の実感だったのだ。この話、面白くないですか?
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