平安京の平安宮は意外と知られていない。
先日、テレビ(ぶっちゃけ寺)が「一条戻り橋」の話をしていた。
安倍清明が式神(しきがみ)を石櫃に入れて橋の下に封じ込めていた橋である。
渡辺綱が鬼の腕を斬り落とした現場である。
そこは御所(平安宮)の鬼門であった、云々。
そこで妻と娘から質問が出た。
「一条通堀川がどうして御所の東北(丑寅)になるの?」と。
堀川通は現御所の西側沿いの烏丸通から見ても相当西にある。
疑問に思うのも無理はない。
さて答だが、桓武天皇が794年に入京した平安京の朱雀大路(メインストリート)は今の千本通で、その北に内裏があり内裏の東が堀川だった。北限が一条通。
なので堀川に架かっていた一条戻り橋はズバリ御所の丑寅の角である。
御所は度々焼失し再建されたが、平安末期には再建されず、東方向にあった土御門東洞院殿に仮住まい?し今日に至っている。
だから、芥川龍之介の小説や黒澤明の映画で有名な羅生門の跡も千本九条にあるし、今の御所や烏丸通からでもさらに西にある東寺が「東寺」たるゆえんもそこにある。
奈良の東大寺、西大寺を連想すれば納得していただけるだろう。
東寺は千本通の東側にあるし西側には西寺があった。
結局「千年の都」がアダになり、かつての内裏は西陣辺りの町家に埋め尽くされている。
万事塞翁が馬とでもいえるのは奈良の平城宮で、多くがただの田畑に還っていたので、その後国が土地を買収し今日の平城宮跡が生まれ、大極殿や朱雀門が復元・再建されている。
洛外も洛外、はるか南端に住む我家族が「知らんかった」というのも同情していただけるだろうが、この話、結構多くの人々も知らずにいるのではないか。
私も以前は「御所の鬼門」というので、一条戻り橋は鴨川の出町柳あたりにある(あった)のかと思っていたときがあります。
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