2016年9月9日金曜日

べーら べーら 考

 9月1日に布団太鼓の掛け声のことを書いた。
 堺の布団太鼓の掛け声の基本形は、べーら べーら べらしょっしょい で、その意味は分からないが心地よいリズムだと書いた。

 それについて8日のテレビ「ちちんぷいぷい」で堺の百舌鳥地区の何方かが、「米良(べいら)が語源で豊作を祈る言葉だ」と語っていた。
 結論を言えば私には確たる(反)論がないのだが、それでも「それは少し違う」と思う。

 そもそもこの布団太鼓だが、ふとん太鼓、太鼓台、太鼓(大阪府、京都府、奈良県)、ふとんだんじり、だんじり(淡路島)、屋台、ヤッサ(兵庫県)、太鼓山(丹波篠山)、千歳楽、センザイラク、ドンデンドン(岡山県)、チョウサイ(広島県)、ドンデン(山口県)、チョウサ、サシマショ、太鼓台(香川県、小豆島、愛媛県)、ヤグラ(瀬戸内)、ヨイヤセ(南伊)、コッコデショ、堺だんじり(長崎県、熊本県)、ヨイマカ、喧嘩太鼓(宮崎県)、トンテントン(佐賀県)、四つ太鼓(和歌山県)等々の名前で西日本に拡がっている(雑誌「堺泉州第8号)が、長崎県・熊本県の「堺だんじり」に表れているように、そのルーツは堺にあると思われる。
 それぞれの地は、堺商人が寄港した湊町である。
 
 私は戦後と呼ばれていた時代の堺の中心街(つまり濠の内側)に住んでいたが、その小学校区には田圃は一つもなかった。濠(土居川)の中の小学校区はどこも同じだった。
 布団太鼓は中世以来の都市である堺で生まれたのであるから、その掛け声が豊作の祈願というのは納得いかない。
 さらに9月1日に書いたように、太鼓歌は「八朔は雨」「夕立」と歌うのだから、その歌詞は刈り入れ前の農業の歌とは到底思えない。
 また、旧堺市街地の布団太鼓の単位は、多くが材木業、魚卸売業、穴子屋等々の「組合」が中心であったから、農村的雰囲気は皆無だったように記憶している。

 今後検討してみてよい視点としては、海外貿易に関係して、琉球の言葉、ルソンあたりの東南アジアの言葉、あるいはポルトガル語、オランダ語にヒントはないだろうか。
 こんな他愛ないことでも、いざ考えてみると奥は深い。
 思い付きでもよいから、関係のありそうな試見を提起していただけるとありがたい。
 「米良でべーら」はないと思っている。

3 件のコメント:

  1.  昔昔のことだが、長崎でふとん太鼓を知ったときには驚いた。「やっぱり文化は世界との玄関・長崎から西日本に拡がったのだろうと」感心した。しかし、それは反対だった。長崎の方で「堺だんじり」と言っていたのだ。黄金の日々の中世堺おそるべしだった。だから「ベラショッショ」についても堺から海外に目を向けて再検討すべきではないかと本気で考えている。

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  2. 今日ラジオでベラと言う魚について聞いたのですが、防波堤で獲れるとの事。夏の時期に。昔は夏祭りやったのでそれが起源では?

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  3.  Unknownさん、コメントありがとうございます。私は今年もいくらか考えてみましたが、やっぱり解りません。
     なお、モンベルの辰野会長は堺出身の方でFBに百舌鳥八幡の布団太鼓を書かれていましたが、やはり、べ~ら べ~ら の由来は解らないようでした。

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