八朔というと小さい頃の地元の秋祭りであった堺の開口(あぐち)神社(大寺さん)の八朔祭りを思い出す。
布団太鼓を舁(か)き出す秋祭りだった。
その布団太鼓だが、地域地域によって太鼓台とか屋台とか呼び名は違うが、関西一円にあり(四国や長崎も有名)、現在私が住んでいる奈良北部~京都南部にもあり結構有名である。
ところが、それ(奈良・京都の布団太鼓)を見て私は懐かしく感じないのである。
このどうしようもない違和感は何だろう。
理由はただ一つ、太鼓を舁くリズム、掛け声のリズムが異なるのである。
よい悪いのことではなく、記憶の奥底に畳み込まれていたリズムでないから、どうしても気分は他所のお祭りを見物しているだけになる。
大寺さんの布団太鼓は通常の御神輿などのワッショイワッショイやチョイサチョイサの掛け声のリズムからは相当遅かった。遅いけれどもその分太鼓台自体や房が大きく揺れて気持ちがよかった。
一般的な掛け声は、べーらしょ べーらしょ べらしょっしょい で、(あっ 浮いた 浮いた などと続いた。これは重い布団太鼓が地面から浮いたことで、私の小さい頃は舁き手が一番衰退していて重さに耐えかねて屡々落としていた) そして太鼓が ドン ドン ドテドン ドン ドン ドテドン と打ち、ドテドン ドテドン ドテドンドンドン と続く。
太鼓歌※を歌うこともあったが、60年近く昔は草津節をよく歌って舁いていた。
あるいは、リズムに合わせて 〇〇の太鼓 よう舁く太鼓 とか言って自分たちの太鼓の自慢をし、他の太鼓の悪口を歌ったりしていた。
そして、花代を貰った家の前で止まっては、 ドンドンドン やーえ ドンドンドン やーえ よんやまっかそこじゃいな よーんやせー とお礼を言うのだったが、この呪文のような言葉の意味はもちろん子どもたちには解らなかった。
同じような感覚は、江戸の御神輿のお祭りをテレビで見たときにも感じた。よい悪いの話ではなく、あの腹の底まで響いてくる大太鼓の音と、ゆったりとそしてある種勇壮なリズムこそが私には懐かしい。
たいした歌でもないが青春時代の歌には心臓がわしづかみにされるというあれである。
大寺さんの八朔祭りは今は土日中心に行われている。
※ 太鼓歌 1
牡丹に唐獅子 竹に虎
虎追うて走るは和唐内
虎追うて走るは和唐内
あとないお方に知恵貸そか
知恵の中山清閑寺
清閑寺のおっさん 坊さんで
それゆえ八朔 雨じゃいな
ベーラ ベーラ ベラショッショイ
※ 太鼓歌 2
※ 太鼓歌 2
石山の 秋の月
月にむら雲 花に風
風の便りは 阿波の島
縞の財布に 五両十両
ゴロゴロ鳴るのは ナンジャイナ
ゴロゴロ鳴るのは ナンジャイナ
地震 雷 あと夕立 ベーラ ベーラ ベラシャショイ
前の記事のコメントで河内では「よーいやさ」が掛け声とあった。
これは播州周辺と同じようだ。
堺の「べーら」もよく分からない。
yamashirokihachi.blogspot.com/2012/09/blog-post_8.html
テレビでジャズミュージシャンが「いろんな楽器があるが太鼓が一番神様に届く楽器」としゃべっていて、なんとなく肯いた。
返信削除待ってました~、太鼓台話し、河内では「アーヨイヤサーヨイ」で担ぎ上げ、足の運びに合わせ「ヨイヤサーレ、ヨイヤサーレ」と続けます。新聞づくりで忙しいのにかなわんな~こんな話して‼
返信削除ひげ親父さん、貴重な作業を邪魔してすんません。
返信削除記憶があいまいなんですが、堺では住吉さんの大神輿も べーらしょ べーらしょ なんですね。その舁き手が足らんというので京の八坂神社あたりの舁き手が応援に来たというテレビ番組がありましたが、そのときも掛け声の違いにテレビのこちらでひっくり返りました。
良し悪しの問題ではなく、そういうものですね。