2015年6月6日土曜日

どさくさのチャンスに賭ける

  思想家・内田樹氏の分析はいつもながら的確に的を射ているように思う。
 私が頷いた諸点を拾ってみると・・・、
 大阪市の住民投票で維新は、巨額の資金を投じてカジノ誘致等で経済が浮揚するという一攫千金の夢物語を掲げた。
 それに対して反対運動を突き動かしたのは地域の求心力への素朴な信頼だった。言語、祭り、食文化、生活習慣、そういう具体的なものが地域住民を統合してきたのだから。
 安倍氏橋下氏に共通している「破壊願望」が大きな訴求力を持っていることは明らかで、破壊のもたらす爽快感・全能感が、現状に強い不満と閉塞感を感じている層にアピールした。
 もうひとつ共通しているのは弱者に対する不寛容で、他の人間が自分たちの払った税金に「ただ乗り」することは許さないという発想だ。
 どう考えても、自分も「弱い市民」たちが彼らを支持する理由は、「誰かが自分の取り分を横取りしている」という被害者意識と「制度を全部壊したら、どさくさに自分にもチャンスが巡って来るかもしれない」というかぼそい射幸心だ。・・・・というものだった。
 
 地域の求心力という提起については、堺市長選挙のときにそれを強く感じた。
 非常に深い歴史と伝統に裏打ちされた堺市で大阪都構想が拒絶されたのは正にそれだった。
 同時に、巨大ニュータウンを中心とした堺市南区では維新派が多数になったことも裏表の関係だと私は思う。
 そして大阪市住民投票では、堺市南区とよく似た区では「旧北区や旧中央区と合併された方が得にならないか」という意識が賛成票を稼いだに違いない。
 次の「破壊願望」については、在阪テレビ局の報道姿勢が非常に大きな扇動効果を発揮していると思っている。扇動は、下品な言葉であればあるほど効果がある。
 三つめの「弱者に対する不寛容」だが、これも、「誰もがホンネで言えば自分が可愛い」「きれいごとは建前で偽善や」的なテレビ発信の「本音の大阪論」的なものが果たした役割が大きい。
 同時に、義務教育の時代から競争を煽られ、利益と効率一辺倒の企業社会の中で、例えば力を合せて仕事をするというよりも、例えば「仕事の遅い同僚」を排除すれば自分の仕事が楽になると思う素地は既に蔓延しているように思う。
 この克服の方向を考えると、教員をはじめ宗教家、芸術家等の果たす役割は大きくなるに違いないだろう。
 そして、いろんな市民運動のリーダーたちが、日々の生きざまで地域や職場での連帯の形を作り上げていかなければならないと強く感じている。新聞記事の断片をおうむ返ししているだけでよいはずがない。
 大阪市住民投票が提起した問題は、遠い別世界の例外的な出来事ではないという理解が大切だ。

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