安倍首相に近い自民党国会議員が「文化芸術懇話会」をつくって、戦争法案を批判する報道に対して、「マスコミを懲らしめるには広告料をなくせばいい」「経団連に働きかけてほしい」と議論した。それを得々とネットで公言している出席した議員もいる。
要するに自民党を批判する報道は許さない、報道の自由など顧みないということで、さすが現憲法の定める報道の自由を毛嫌いする自民党の改憲案の本質を知らせてくれている。
現状でさえマスコミは、中国で千人ほどの学生がデモをすれば大々的に報じるが、我が国の国会を取り巻く数万人のデモはスルーすることが度々だが、それでも自民党には我慢がならないらしい。
地方でも、神奈川県大和市で「憲法九条やまとの会」のイベントで、アイドルグループの制服向上委員会が自民党批判の歌詞の曲を歌ったというので、自民党の市議がカンカンに怒って大和市は後援を取り消した。
去る5月には、憲法記念日に「憲法を守ろう」という集会を企画したところ、「政治的な集会だ」と自治体が市民会館等を貸さない事態も頻発している。
戦前の歴史を見ても、大正時代などは、まさか十数年後にあんな時代が来るとは想像できないような自由もあったようである。
だから、一つひとつの些細な空気のような圧力が重なって、これはおかしいと気付いたときにはもうモノも言えない全体主義国家になっていたということだろう。
そのアイドルグループは、野田政権のときは民主党を批判する歌詞の歌も歌っていたし、桑田佳祐だって共産党の志位委員長をおちょくった歌を歌っていた。もちろん、民主党も共産党も抗議などしていないが、ということで、自民党は度量が狭い、大人げないというレベルで見過ごしてはならないのではなかろうか。自民党は政権与党、権力の側なのだから。
私たちは地動説のように、いま私たちが後世に綴られる歴史のどういう地点に立っているのかと見つめる必要がないだろうか。
孫が「その時、お祖父ちゃんはどうしてくれていたの?」と問われる時代が来るような予感がする。
0 件のコメント:
コメントを投稿