東大寺二月堂の修二会、普通には「お水取り」。
近頃はツアーの観光客がひしめくらしいので、へそ曲がりの私はもう何年も行っていない。(ただし去年は「達陀帽(だったんぼう)戴かせ」には行ってきた)
で今年は、誰も見向きもしない(10日の)午前中にお詣りをしてきた。というか、私もミーハーな見学のようなもの。
正午からの食事・上堂も始まっていないから、紙衣(かみこ)の僧たちも一瞬の休憩中だった。
参籠宿所は「火鉢以外の暖もない」と言われているが、庭では焚火が焚かれていた。
私は「話が違う」とも思わなかった。雪の舞う中の法会である。
東大寺はさかんに「観光行事ではありません」とアナウンスしているが、そのとおりで、長い修行中のこうしたホッとした風景が反っていい。
周囲では、大きなへっついさんで食事が作られ、近世、中世、古代もかくやと思わせる時間が流れていた。
二月堂北の茶店に寄ると、お松明の(杉の)燃え殻が「ご自由に」と書いて置かれていた。
無病息災とか言われて先を争って拾われているあれである。
我が家と子供たち2軒分、3本いただいて帰ってきた。
奉書で包んで玄関に飾らしていただいた。
いつも通り大仏殿にも回ってみた。100%シーズンオフで心地よい。いや、ちょっと寂しい。
裏の「大仏さんの鼻の穴」も、知らない外国人が見向きもせずに通り過ぎようとするから、20数人ぐらいは呼び止めて、身振り手振りで「ここを潜りなさい」と案内した。驚き、躊躇した人も潜り抜けた時には大喜びで、私にジェスチャーでお礼を言ってくれた。きっと、楽しい記憶のひとつになっただろう。
首相が世界中で日本の評判を落としているから、微力ながら日本観光の記憶が豊かになるよう、ひいては国際貢献と日本の「国益」のために私はあえて「お節介爺さん」になっている。
でも、近頃よく聞く「国益」ってなんだろう。
おどけて使ってはみたものの、嫌~な時代の先触れのような感じがする。
私も昔、お水取りの期間中とも知らず二月堂に行ったことがあります。丁度練行衆の食事時で食堂作法を連子窓の隙間から見させてもらいました。お水取りが終わったら練行衆は大阪で「打ち上げ」をすると言う童子の話を小耳に挟みまして思わずニヤッとしたものです。私の親戚は昔から練行衆にお弁当を差し入れています。仏道修行にも緊張と緩和があって良いと思います。
返信削除スノウさん、ほんとうに貴重なお話をありがとうございます。
返信削除緊張と緩和・・・わかるわかるという感じです。
私が行った日は雪の舞い散る寒い日でした。
水とりや氷の僧の沓の音。
俗世の人々の悪しき行いを一身に負い、苦行を続けること、今年で1264回目、続いている事が救いです。安倍や維新の悪行も払ってくれるのかしらん。かなり昔、NHKの映像で見た練行衆の真剣な様子とスノウさんの話のギャップが面白いですね。「青衣の女人」の話なんかも大好きです。それと念願の「だったん帽いただかせ」に参加したいのですがこればっかりは~。
返信削除韃靼帽のためにはそろそろ息子をけしかけなければならないでしょう。
返信削除やっぱり韃靼帽は孫に似あいますから。
だったん帽は正しくは『達陀帽』でした。安易に文字変換したことをお詫びして訂正申し上げます。
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