2014年1月23日木曜日

disappointed

  行政の公用文には行政の公用文の世界があり、その使い方は一冊の本になっている。
 同じような公用文であるが、司法(裁判所関係)の世界は司法独特の世界を形づくっている。
 法令の読み方・その文字の使い方も分厚い本になっている。
 そういうセオリーを知らないで使うと、その世界では全く素人として相手にされない。
 同じように、外交文書には外交文書のセオリーがあることを、安倍首相の靖国公式参拝に間髪を入れず発せられた米国の声明文で再認識した。
 靖国参拝を推進してきた人々はその  disappointed(失望した)を「ちょっとがっかりした」という英語だと言ったりしているが、ニューヨーク在住のジャーナリスト北丸雄二氏によると、この種の「憂慮」「遺憾」「失望」等の英語は軽い方から、concern  regret  disappointed  で、disappoinnted  の上には  condemn  しかなく、それはレベルの異なる「非難する」というものだから、いわゆる同盟国の首相に disappointed  を使用した意味は重いと指摘している。的確な指摘だと思う。
 また、靖国神社を war shirine  (戦争神社)と英訳されていることも知ったが、これもある意味、世界の常識がそうであることに目から鱗であった。
 米国政府の言葉を借りて考え直すというのも情けなくはあるが、これまで「国内の国民感情に中韓がイチャモンをつけている」と言ったような風潮が大手を振っていたのが、彼らの好きなグローバル世界で全く受け入れられない特異な行動(参拝)であることが明らかになった。

  靖国神社は、戦前は陸海軍が所掌し、祭神の決定は軍が行い、祭祀料は陸軍省から出ていた。
 そういう意味では、伊勢や出雲等々各地の神社とも全く異質の軍の施設であった。
 それが戦後は、形式的には宗教法人になったが、施設を挙げて侵略戦争を美化、宣伝し、さらに、アジア各地の人々を殺害、蹂躙し、日本国民を兵隊として、空襲等被害者として死亡(多くの兵は餓死)させた戦争指揮者(A級戦犯)を合祀したのである。
 だから、外国からの批判の有無に関係なく、この神社と首相の公式参拝は、日本国民が「憲法違反だ」と、正面から批判しなければならない課題だと思う。
 「時期的にまずかった」とかというような「反省」では適切とは言えない。

 なお、戦争犠牲者と遺族にはいろんな信仰の方々もいることでもあるから、その慰霊の施設は、日本国憲法の理念のもとに、無宗教の施設として、千鳥ヶ淵墓苑を整備するなどの方法で整備するのが筋だろう。
 どうして、そんな理性的で常識的な提言がマスコミに登場しないのだろうか。
 いわゆる右翼タブーなのだろうか。
 そんなタブーが当然だとすれば、現代社会はすでに「戦前」だと私は思う。

3 件のコメント:

  1. 靖国神社が軍所掌の施設で伊勢や出雲等の神社とは全く異質のものだったと書いたが、戦前の政治が、国家神道の国教化政策をとる中で、主に仏教に大打撃を与えただけでなく、古来から地方の民俗行事を担ってきた小さな神社をも整理、統廃合し、伊勢を頂点とする国家神道に無理やり再編した下で、戦争体制の思想統制に果たした責任がそれらの神社に全くないこともない。
    戦後発足した神社本庁がその反省をせずに、靖国公式参拝を積極的に煽っているのはなおいけない。
    しかしそれは、首相の公式参拝とは分けて、それぞれの信者さんたちの議論の上で是正されるのが望ましい。

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  2. 靖国神社は戦争神社と英訳されるんですね。死後までも権力者に支配されては若き兵士たちの魂は救われないと思います。天皇のために死ねと教え込まれた兵士たちの多くは「天皇陛下万歳」ではなく、お母さんと絶叫して絶命したと聞いています。このことからも、多くの兵士たちの魂は靖国神社には存在せず、遺族の心の中にこそ存在していると思います。多くの人々の心の内は、与謝野晶子の詩歌にあるきみしにたもうことなかれーーーーであるのは間違いないと思います。 あの当時の多くの人たちは本心を明らかに出来なかったのです。なにしろ、天皇主権ですからね。菊のタブーが厳然と存在していますね。戦後、国民主権になったとは言え、戦前の主権者である天皇の戦争責任を不問にしているのですから。戦前の支配層の岸元総理を祖父にもつ安倍総理に代表される権力者は戦争に対して微塵の反省もないのは明らかです。この元凶を作ったのは米国なんですから、反省してもらいたいものです。

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  3.  dyougoziさん、コメントありがとうございます。一般論としては祖父の責任を孫が問われる必要はありませんが、東条内閣の閣僚であった祖父の時代を賛美して「戦後政治からの脱却」を目指すことは徹底的に批判されなければなりません。
     「靖国公式参拝」に関わるテーマを今頃書くのは時期遅れかなあと思いながら書きましたが、今日の首相の施政方針演説の様子をニュースで見ますと、残念ながら心配事は徐々に現実のものになりつつあるように思います。
     僧侶の方々まで靖国の神にしてしまうのも無茶苦茶だと思いますが、もう一度一人一人の国民が冷静で理性的な声をあげることが大切なのでしょう。おかしいことはおかしいと言い続けなければ、そんなことが言えない時代が来ます。
     3.11フクシマ事故の後、何とも言えずモノが言いにくい時期があったと私は感じました。あれ以上の時代が来る可能性があります。
     そんなことにならないよう、これからもコメントを通じてなどで大いに語り合いたいと願っています。よろしくお願いします。

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