2014年1月13日月曜日

安岡章太郎〔僕の昭和史Ⅰ〕

  書棚から引っ張り出して、安岡章太郎著「僕の昭和史Ⅰ」を読み返した。
 昭和20年に25歳だったという、最も多感な時代を『戦前』に暮らした先人に、「正直なところ戦争はどのようにやって来たのですか?」と問うてみたいと思ったからである。
 もちろん、その前提のような私の問題意識が今日の安倍政権の暴走にあることは言うまでもない。
 ただ、安岡章太郎の父は上級の軍人であったし、氏自身も大学浪人や学生として結構遊んでいたようでもあるから、東北地方などでは娘が売られていた時代の民衆史と言うよりは、ある種特権階級?の自叙伝と言えなくもないが、何よりも一級史料として教科書よりもリアリティーがあった。

 さて、私は先のような質問を、実は生前の実母に尋ねたことがある。実父は私が小学生の時に亡くなっている。
 わりあい聡明な実母であったが、戦時体制がどのように進行していったかというような問いには「判らない」としか回答はなかった。敗戦まで選挙権すらなかった普通の女性にそれを問うのは無理であった。
 ところで、予想外というか予想どおりというか、この本を読んでも実母とよく似た感じがした。
 つまり、教科書には「普通選挙法と治安維持法」「経済恐慌の推移」「満州事変」「日本改造法案」「2.26事件」「学問研究の弾圧」「国家総動員法」「帝国国策遂行要領」というような目次が並び、まっすぐな階段を上るようにファシズムがやってくるように見てしまいがちだが、氏の言葉を借りれば、「十五年戦争という言い方は戦後になって出来たもので、当時は誰もこんな戦争がこれから十五年間もつづくだろうとは夢にも思っていなかった。いや、僕自身の実感からいっても、シナ事変と大東亜戦争は一体のものと考えられるが、満州事変とシナ事変との間には、ほんの数年間にしろ平和なインターヴァルがあって、それを戦争とは呼べない気がするのだ。」という感覚だったのだろう。
 そして、関東大震災前後の共産主義者、労働組合幹部等への弾圧や虐殺以降、学者・研究者への弾圧、大政翼賛会発足等々の動きとはまるで無関係なように、氏は、「昭和の初めごろまでは自由な雰囲気があった。」と、東京の中流以上の家庭なのだろうが、そういう雰囲気であったと述べている。これもまた一面の歴史の事実だったのだろう。
 そして、「何年何月何日をもって」と言えないように、隣組の監視体制ができあがり、新体制運動や国民精神総動員体制が進み、興亜奉公日や大詔奉戴日がつくられ、いつの間にか「個性」だとか「自由」という言葉さえ大ぴらに言えない社会が生まれていたという。まるで三寒四温の気候のように、戦争戦争した時期と、平和になりそうな期待を抱いた時期が繰り返されながらそうなっていたという。

 ・・・というような話は聞き飽きた話であるが、ほんとうにその時代を生きてきた証人の自叙伝にはある種の説得力がある。
 
 もう一つ、新聞ラジオは戦況の嘘を流し続け、反対に、『百人斬り競争』を武勇伝として囃し立て、後年には、横浜港においてドイツ輸送艦が轟沈された時も、氏は慶應の日吉の学舎でドカーンという音を聞いて驚くのだが、翌日の新聞には一行も載っていなかったという。

 この本を読んで私は、ファシズムに向かう一つ一つの出来事は見方によっては些細なことのように見えるが、総合して「これはひどい」と感じた時には手遅れだという感を強くした。
 例えば、市電が宮城や明治神宮の前で一旦停止して全員が首を垂れるということも、それだけでは私たちの生き死ににかかわるようなことではないにしても・・・・・、
 だから、日の丸に首を垂れよということも、君が代を歌っているかどうか口元をチェックするということも、もちろん特定秘密保護法も、こういう歴史の鏡に照らして評価することが大切だろう。
 私はこの現代がある意味で『戦前』だとこのごろ強く感じている。
 些細な全体主義の足音にビクッとする臆病さが大切なような気がしている。

  なお、歴史は単純な繰り返しではない。
 安倍晋三や橋下徹の施策も彼らのキャラクターや単純な時代錯誤ではない。
 約めて言えば、多国籍企業とその集合体の参謀ともいえるシンクタンクや各パーツパーツの出先機関の戦略に操られているのだろう。それは巨大で綿密なものだ。
 私たちが彼らに操られないためには、多方面からの情報の入手とそれを整理できる知恵がいる。
 それらの問題意識は引き続き深めたい。

 ある世代の記憶を次の世代に引き継ぐ課題は、単純に「語り継げばよい」というほど簡単なものでない。
 前の世代が、言わば血と汗で築いてきた自由や民主主義も、生まれた時からそうであった世代に「先人の血と汗なのだ」と教科書的に教えようとしてもピンと来ないものだ。自分の身に照らしてみてほんとうにピンとくるのは難しい。
 だから、ピンと来ない世代がだらしないのではなく、ピンと来てほしい世代の工夫が大切なのだとつくづくと思う。
 成人の日にそんなことをいろいろ考えた。

2 件のコメント:

  1.  いまテレビのニュースを見ていましたら、慰安婦発言で訪米中止になった橋下市長が、そのキャンセル料を公費負担したのは違法だとする訴えに対して、「こんなことで表現の自由が奪われてはならない」とコメントしているのを見て、連れ合いと二人で「アンタは大阪市の教員や職員の表現の自由を奪う、どんなひどいことをしたのか」と怒り心頭でした。こんな小さなことでも、権力者が事実を真逆に描く卑劣さをその都度指摘していかなければ庶民の表現の自由は守れないと思います。

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  2.  同感です。「大阪のマスコミなんてそんなものや」と訳知り顔で放置するのでなく、腑に落ちないことをその都度指摘し、頑張っているジャーナリストは応援するということが大切ですね。
     読むだけでなく語ることが大切です。多くの方々からのコメントを期待しております。

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