ヤマガラはとても器用に芸をした。
「した」という過去形なのは「釣瓶挙げ」や「鐘突き」「おみくじ引き」等の縁日でしていた芸が今では絶滅したらしいからで、私たちの年代がその最後の証人のようである。
「おみくじ引き」なぞは、ヤマガラがお客さんの差し出す硬貨をくわえて模型の神社まではねて行き、賽銭箱に硬貨を入れて鈴を振ってお参りし、神社の扉を開けて中のおみくじをくわえて戻ってきて、おみくじの封をほどいてお客に渡すというもので、まさに名人芸だった。
この芸をヤマガラに教えて縁日で商売をしていた者が山雀遣いだった。
安倍自民党内閣が、NHK経営委員人事や会長人事に露骨に介入してからのNHKの「垂れ流し」報道は目を覆うばかりである。
首相は、新聞や民放に対しても、わずか10日前にNHK解説委員、読売論説委員長、日テレ報道局長、時事通信解説委員、毎日専門編集委員、朝日政治部長らと会食したばかりなのに、靖国参拝の夜報道各社の政治部長らと会食。読売の渡辺恒雄主筆とは12月中に2度会食。産経の会長や社長とも会食。日経、テレ東など主催の懇談会にも足を運んでいる。
このようにしてマスコミはヤマガラよろしく「世論」を誘導していると思うのは私だけではないだろう。
こういう広報戦略の参謀がNTT本社広報部報道担当課長出身の世耕弘成氏で、電通等の民間広告会社を動員して、かつインターネット戦略も駆使して「思いどおり」に進めていることを隠しもしていない。
ただ最大の弱点は、誘導したい政治の中身が「虚偽」「偽装」のかたまりだということで、秘密保護法にしても靖国参拝にしても、彼らの思うようには事は運んでいない。
新しい年が始まったが、新年度予算案には前年度比21億円増65億円の官邸広報予算が計上されている。洪水のような広報戦略が展開されることだろう。
冷静にこの時代を俯瞰すると、多くの面で戦前、戦中の様相を示している。
ならば、あの時代の教訓から、権力や金力に影響を受けない媒体、赤旗の果たす役割は大きいと思っている。多くの方々にお勧めしたい。
マスコミがヤマガラのあれこれの芸しか報じない中で、あらゆるタブーを恐れず山雀遣の策謀を解明している貴重な情報源だと思う。
なお、メディアの問題について、北大中島岳志氏が1月3日のネット上で次のように指摘しているのが心に残った。
(前略)
■ポピュリスト
安倍首相は極めてあざといポピュリスト(大衆迎合主義者)です。「世論」という言葉には本来、二つの意味があった。「パブリックオピニオン(公的な意見)」を輿論(よろん)、「ポピュラーセンチメント(大衆的な気分)」を世論(せろん)と呼び、区別してきた。安倍さんが依拠しようとしているのは明らかに大衆的気分、つまり世論の方です。
いろいろな意見を聞きながら自分自身の葛藤を経て方向性を見いだすより、気分的なものに乗ってある層の支持を集めながら、独断的に物事を進めようとする。そういう独裁的な方向を、安倍さんは無自覚に歩んでいる。
■浮遊する個人
これは日本政治に20年にわたって横たわってきた問題です。小泉純一郎元首相に始まり、橋下徹・大阪市長のブームもそうだし、繰り返しやってきた。
社会が流動化し、底が抜け、みんなが大衆的な気分に偏って、社会的な中間的な立場・居場所がなくなり、特にテレビ的なポピュリズムに一体化していく。
人間は本来、「トポス的な存在」です。トポスというのは「自分が生きていくための役割があると実感できる場所」です。トポスを失った大衆社会は、みんな自分の存在意義が分からず、人は大勢いるのに個々人は孤独だという問題を抱える。
意味付けを失い、ただ個人として浮遊しているような社会は極めて熱狂的になりやすく、過去の経験知に学ばず、他の人が言うことには耳を傾けない。社会学者が言うところの「カーニバル化した社会」です。瞬間的熱狂、断片的熱狂が繰り返し表出し、そこに何らかのイデオロギーや思想は存在しない。
だから、いま社会全体に右傾化が起きていると言われるが、それよりみんなで盛り上がれるネタで「祭り」が起きている状態に近い。保守にはこういう熱狂的社会に対する違和感が強くあるはずなのに、安倍さんはむしろ乗っかろうとする。だから彼は、ネットやフェイスブックをやって、誰かを攻撃したりしていますよね。
■大衆との対決
メディアは時に、その大衆的な気分に対決する覚悟を持たなければならない。世論が中国との戦争を支持しているからといって、礼賛するかといったら違うわけでしょう。
メディアは単に報道だけではなく、政治というアリーナの一つのプレーヤー。自分たちの意思と主体を持ち、政治はこうあるべきという公論の場をつくるべき。僕は客観的な報道なんて信用していない。何かを書くこととは、何かを書かないこと。「これは書きにくい」と思うことは有識者に言わせて、その有識者だってチョイスしているでしょう。
そのことを踏まえ、いわゆる多数派である意見に違うんじゃないかと言う役割もある。マス(大衆)にすり寄ることがマスメディアではなく、マスの側が「気分」で間違いを犯しているのではないかと思ったら、それを指摘するのも大切な役割。われわれ政治学者と同じ。マスを恐れるな、迎合するな、すり寄るなということです。
(後略)
細部にいろいろ異論もある(私は安倍政治は自覚的に戦前型政治を指向していると思う。)が種々参考になる指摘だと思った。
近頃、窓のすぐそばの乏しくなったエゴノキの実を食べに毎日ヤマガラが我が家にやってくる。
山雀芸よろしく、実を足で掴んでコツコツ、コツコツと上手に割って食べている。
コツコツ、コツコツという大きな音がすると、政治のあれこれも忘れて家の中にいても心が和む。
日本も世界も混沌とした状態になり、近いうちに大激動期に入る予兆を感じます。
返信削除中世日本も貴族政治から武士政治へと移り変わる中、宗教では国家仏教から法然、親鸞の「民衆宗教」が起こり、道元、日蓮の新しい宗教が民衆に広まり空也、一遍が地方に遊行して念仏宗教を民衆に広めました。当時の混沌とした世間から捨てられた「鴨長明」が方丈記で世の無常を、世間を捨てた「兼好法師」が徒然草で馬鹿な世間を笑うという、いわば相反する二人のインテリの中世文学、世界観が生まれました。
当時とは比較できない世界になっていますがこの激動期に創造的な思想が生まれてより良い方向へ進むようにと何時も思っています。
安倍首相のキャラクターだけでなく、世界的な規模で大激動期に・・という指摘は貴重だと考えています。
返信削除いま、堤未果著「政府は必ず嘘をつくーーアメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること」を読み始めています。
現代は、長明や兼好の時代以上に「まともな世界観」が重要で、そういう言論戦が大切だとの示唆はそのとおりだと思います。
最近、「民意」の役割に注目していますが、民意の本質を理解するうえで、中島准教授の記事は大いに参考になりました。
返信削除安倍内閣による危険な暴走が続いていますが、紆余曲折があっても最終的に決定するのは彼らではなく、我々(民意)だということに確信を持ちたいと思っています。
私は、和道さんは全く知らない方だと思います。しかし、和道さんコメントを読ませていただき、彼の思想には「民主主義の血液が脈々と培われている。」といつも感嘆させられています。
返信削除「甘い!」と一括されそうですが、私はマスコミを含め「民意」に確信を持ちたいと思っています。
今日の俗に言う「田舎のブル新の記事」ですが、コメントに『・・今年の漢字は「輪」・・そっと隠れています「秘」・・・』何もしないで、笑って何になるんやと批判されそうですが、可笑しいものは、可笑しいです。
和道さん、バラやん、コメントありがとうございます。
返信削除世界観の根本のところで楽観主義者でいようという忠告は非常に胸に落ちます。
向かう1年、広く人々の心に響く言論について、さらに試行錯誤をしたいと思います。
そのためにも、引き続きコメントをよろしくお願いします。
今日、琉球新報の記事を転載した6日付毎日新聞の記事を読んだ。
返信削除『仲井真氏は、「沖縄は金で転ぶ」という安倍政権による印象操作に手を貸し、オール沖縄の世論を割る役回りを演じた。』等々と的確に指摘し、『名護市長選は、「県内移設」の可否に対する直近の民意を示す、文字通りの天王山となろう。』と訴えている。立派だと思う。
マスコミを十把ひとからげに括るのでなく、勇気あるジャーナリストを称え応援することも大切だろう。