東大寺二月堂北東の『まんなおし地蔵尊』のことは2012年10月26日の記事などで度々書いてきたが、この、近頃はほとんど耳にしなくなった「まんなおし」と言う言葉や、比較的簡単なお祈りで?運気を開こうというあまりにストレートな発想に、私は返って興味を感じていた。
そこで、大阪市内にも『まんなおし地蔵尊』があるというのを知ったので、真田山の心眼寺にお参りに行って来た。
すると、山裾にひっそり野ざらしで祭られていた東大寺の『まんなおし地蔵尊』に比べると、こちらの方は大都会のど真ん中らしい立派なお堂の中に鎮座されていたので、その、いろんな意味での格差に驚いた。
歴史の向こうに忘れ去られたような方(地蔵尊)が好きか、現役バリバリの方(地蔵尊)が好きかは個人の嗜好だろうが、私は心眼寺のその立派さには少したじろいだ。
私の乏しいボキャブラリーの中には「まんなおし」という言葉はほとんど死語であったが、ここには堂々と息づいていたのも新鮮な感覚だ。
というようなことを感じていたとき、突然に、ほんとうに突然に、先日、三輪山に登拝に行ったとき、JR三輪駅を出たら『旅館 万直し』という旅館兼食堂の看板が目に飛び込んできたので再び驚いた。
「まんなおし」という言葉は死語ではないんだ!と、何か民俗学的な発見をしたような興奮でシャッターのボタンを押した。
私は迷信は全く信じない超のつくほどの近代主義の下で育ってきた。かつ、私の好きな親鸞も「迷信はナンセンスだ」と明快だ。
そして、現世利益や「罰が当たる」と信者を誘導する宗派もあまり好きではない。
しかし、科学が未発達な時代に素朴に神仏にすがった先人たちの気持ちに寄り添ってあれこれ考えて見るのは大好きで、それが今回「まんなおし」を少し追っかけた理由である。
3.11フクシマ以後、今般の秘密保護法まで、「まんなおし」をしたい事柄は山ほどあるが、「自分ひとり位行動してもしなくても大勢に影響はないやろう」というような臆病で卑怯な言い訳に逃げていたのでは「まんなおし」ができるはずもない。
「まんなおし地蔵尊」は自分の心の中におられると考えるのがいいのだろう。
ちなみに私は、戌亥の角の鬼門というような迷信も信じてはいないが、我が家の北東角には思想史を楽しんで猿の置物を金網に入れて飾っている。
道行く方が「なんでっか?」と尋ねられると、「夜中に近所にワルサをしに出かけんように網に入れてまんねん」と笑って答えている。
■ 牧村史陽編『大阪ことば事典』(抄)
まんなおし 【問直し】 運直し。景気づけ。不運を転換する意にいう。また、ゲン直し。
■ 民俗学辞典(孫引)
漁村で不漁が続いたときマンナホシと称して氏神におこもりしたり、酒盛りをしたり、豊漁の船に酒をやり貰った魚を網にこすり付けたりする。
昔住んでいた処の近所ですね。真田の抜け穴で有名な「三光神社」はよく行きましたが「心眼寺」は行ったことがありません。
返信削除鶴橋から歩いて行きました。
返信削除キタやミナミではありませんが、大阪市内のど真ん中には違いありません。
そんな中に「まんなおし地蔵」ですから、そのギャップが楽しく感じました。
ただ、ギャップと思うのが勘違いかも知れず、大阪市天王寺区の寺院の数(密度)は京都や奈良をはるかに引き離しているということを「チヌの海」さんにいただいた本に教えてもらいました。
近々、今年中に「心眼寺・まんなおし」お地蔵さんに」行ってきます。
返信削除近くには、大木に所狭しと鎌を突き刺して悪縁を絶つ『鎌八幡宮』という、ちょっとおどろおどろしいお寺もあります。「撮影禁止。撮影したらカメラを取上げます。」という張り紙もおどろおどろしい。
返信削除上八の歯医者の帰り上四の方向へ歩いて「まんなおし地蔵」(心眼寺)へ行きました。寺町は字のごとくお寺の多い町に違いありませんが上町筋を歩いたらコレマタお寺の多い通りでした。ほとんどが浄土宗のお寺のようでしたが「檀家」さんも大変だろうと今はビル街に挟まれていますが昔は壮観な街並みであったと想像しました。「鎌八幡」では近在の「おばさん方」がにぎやかに掃除をされていて、やはり「盛衰」のカギを握るのは「おばさん」だと思いました。「まんなおし地蔵」は杖を持っているのでなく刀を振りかざしているのには驚きました。すぐ近くにコレマタ「勝軍地蔵」がありそのお寺は通称「どんどろ大師」と名も、ほんまに大阪ヤナー、三途の川で鬼に苛められている子供の魂を救うお地蔵さんがこうも変身されたのか、させられたのか・・・大阪ヤナー・・・探ってみたら面白いことが一杯ありそうですね以前教えていただいた「堺・南宗寺」もそうでした。
返信削除まんなおし地蔵尊以上にスノウさんの厳寒の行動力に感心しています。おかげで、ブログの記事が本文以上に豊かになります。
返信削除大坂の陣以後の町割の結果なのでしょうか、上町筋近辺は浄土宗が集まり、谷町筋近辺は日蓮宗が集まっています。ある意味壮観です。
首相が戦犯の祀られている「戦争神社」に参拝し、それを喜ぶツイッターが首相のところに集まっているそうです。近隣諸国を侮蔑しナショナリズムの昂揚を喜んでいるらしい。なら、彼らの好む言葉で問うてみたい。「それでも日本人か」。この国の伝統的仏教はもっとおおらかな心を持てと言っているはずだ。