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といって、南都最大のお祭り、「春日若宮おん祭」(17日)のことではない。
阪神電車の「ドーム前」駅直結のイオンは祝祭参加者であふれ返っていて、軽食のお店も、女性用トイレも長蛇の列で、私はドームに入る以前に、すでにここでドドーッと相当圧倒されていた。
それは、44年ぶりとなるオリジナルメンバー5人による The Tigers のコンサートに向かう人々で・・・・。
グレーやベージュのダウンコートの波波波・・。
95%が大阪のおばちゃんで5%がおっさんだった。
そして、紛れもなく私たちも同類項だった。
それにしても、世のおばちゃんたちの元気さはどうだ!
ステージは期待を裏切らない夢の幕開けだったが、5人の外見は見事に観客同様に歳を重ねていて、時間はすべての人々に平等なのだとあらためて実感。
5人中4人がシルバーグレーで、中でも沢田研二は真っ白な「老人ひげ」なのには驚いた。
私は、観客の上にも、そして5人の上にも流れたおよそ50年の人生の山や谷を想像し、祝祭会場に似ず感無量になった。
それでも歌は一挙に歳月を巻き戻してくれ、この私でさえ20歳代の気分になったのだから、音楽療法の世界とはこういうものだろうか。
瞳みのるがステージを駆け、森本太郎、加橋かつみ、沢田研二、岸部一徳が足を前に振り上げるコサックダンス風の例のラインダンスを踊ったのには参った。もちろん、そのあと息は上がっていたけれど。
その上に、会場側の、シーサイド・バウンドに『ゴー ゴー』と片手を振り上げる何万人というおばちゃんたちの波にもついていけず、私はステージの上と下から大きな落伍感を感じたのだった。
それでも、まあ、The Tigers のコンサートに行っただけでもキチキチいっぱい落ちこぼれていないかと自分を慰めつつ「これではいけない」と強く思い直した。(このことだけでもアンチエージングの効果があった。)
「色つきの美女でいてくれよ」とのステージ上からのアピール(歌)におばちゃんたちはうっとりし、おっさんたちは混雑に疲れ肩を落として会場をあとにした。
それが、あれから50年後の現代ニッポンの事実であり現実である。
丁度17日の夕方近く、奈良からの帰りの近鉄電車の「ドーム前」駅で初老?の集団がドーと下車して行きました。新興宗教の集会があるのかなと思っていましたが、コンサートでしたか。失礼しました。
返信削除昨日ユーチューブで遊んでいましたが昔の「ホークソング」の歌の中で何気なく本田路津子」の「一人の手」を聴いて思わず泣けてきました。なつかしい、そして今に通じる歌詞に老人は加齢の現実を知りました。
①
一人の小さい手、何もできないけど、それでも、みんなが手と手を合わせれば、何か出来る、何か出来る
② 一人の小さな目・・・ ③ 一人の小さな声・・・ ④一人で歩く道 ・・・
⑤
一人の人間は、とても弱いけど、それでも、みんながみんなが集まれば、強くなれる、強くなれる。
スノウさんのコメント、あまりに表現が適切なので妻と大笑いしました。
返信削除私自身がその渦の中で形容しがたい感覚に包まれていたのですから。
しかし、いろんな外見等の鎧が捨てきれない私などより、「ゴーゴー」と腕を振り上げられれる「信者」の方が素直なのかも知れません。
カラオケ以前、スナックで本田路津子のレコードをかけてマイクで歌っていました。懐かしい思い出です。
そして、『一人の手』についてのスノウさんのコメント、ほんとうに同感です。
ひげ親父さんが「長谷やんと同じような人がいたで」と、毎日新聞の記事をFAXで送ってくれた。
返信削除音楽評論家細川周平氏の音楽評である。ちょっとだけ紹介する。
『私は自然と歌い出していた。部屋にポスターを張り、ライブに通った元少女たちは別の曲でそれぞれの記憶を再起動させていたに違いない。メンバー自身も同じぐらい強烈に、あの頃を生きていたはずだ。5人そろったからこそ湧き上がる前向きの力。1968年のアルバムから、新生児を賛美する「生命のカンタータ」と反戦歌「忘れかけた子守歌」を選んだところに、今言いたいことが表れている。「今日も生きています。明日も生きています。」最後に呼びかけたジュリー。映画「風たちぬ」の「生きねば」に通じる、つらいなかの希望の声だ。客席だけでなく、幼友達に向けた言葉と受け取った。』
今朝(平成26年1月3日)の赤旗にザ・タイガース瞳みのるのインタビューが大きな大きな写真つきで載っていた。
返信削除同世代の同じ月日。なぜか目頭が熱くなった。