先日、和歌山県立博物館伊東館長による「東大寺の千手観音像の制作年代等に関する講義」を聴く機会があった。
話は、古い情報が得られていない東大寺の通称四月堂に安置されていた千手観音菩薩立像(重文)のことで、四十二臂を説く経典の渡来時期や木彫像の技法や材質、他の仏像との比較検討から、奈良時代後期から平安初期の作品ではないかということを丁寧に説明された講義だった。
ただその話の隅っこに、「この像は残念ながらデザインが悪いので評価されていない」という言葉があったことに私は興味がそそられた。
写真(1)のとおり、一言で言えば「胴長短足」である。
しかし、そのようにデザイン力、構成力が稚拙な仏師にしては上半身の彫刻はしっかりしていないか。なら、上半身を、つまりは千手をデフォルメしたのではないか。
あるいは、前のスカーフ(天衣)のあたりを膝だと思うのが早合点で、下腹に帯を締めてすっくと立っているなら日本人の体型そのものではないのか。・・・などと思いをめぐらせた。
そして、この像は実は元々は東大寺のような大伽藍に安置されたのではなく、もっと小さなお寺用に彫られたのでは・・・などと想像を膨らませた。
もし、そんな想像が許されるなら、小さなお堂の中で丈六半(266.5cm)の観音を写真(1)のように見ることはなく、実は足元に座り込んで写真(2)のように見上げたのではないのか・・・などと・・・。
そうだとしたら、深い深い構想力、デザイン力といえよう。
この像は、今般、修理に伴う調査が行われたようなので、そのうちに調査結果が発表されるだろうが、私としては「胴長短足の1.5級品」という評価はかわいそうだと思っている。
あえて言えば、前の下のほうの手が低すぎるのが・・・そのあたりを丹田と思わせてしまったのが弱点で、その点だけが惜しいものだと思っている。(前の下の手がなかったらよかったのに・・・、それでは千手観音にならないのか・・・、などと素人は自由に無茶苦茶考えるのだった。)
※ 現在は四月堂ではなく、東大寺ミュージアムに安置されている。
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