少し前に、ツイッターの「ついっぷるトレンド」で面白い知識を得た。
ツイッターには文字数140字という制限があるが、アルファベットも漢字も1字は1字となっている。だから、アルファベットのような表音文字の言語に対して表意文字たる漢字を含む日本語の情報量は5倍以上になるとのことで、至極納得。(ただし、大阪弁を「てぇ~(手)」「めぇ~(目)」と記述しないとして。)
いま世界中で独裁政治に反対する民主主義の運動がツイッターを武器に広がっていると伝えられるが、我が国の市民がこれを使えば、表音文字文化圏(要するに日本、中国、台湾以外のほとんどの世界)の人々の5倍以上の力を発揮する勘定になる。事実、主にツイッターで発信されている脱原発の新しい運動がこの国でも広がっている。(ネット社会の負の側面はあるにしても)
ただ惜しいことに、善良な市民の一部に「ツイッターなんか苦手や」と公言し、自分の時代遅れぶりを自慢すらする傾向があるのは如何なものだろうか?(ちなみにツイッターは30分もあれば無料でスタートできる。)
さて、日本語は文字数に比して情報量が多いと述べたが、音節・・・(英語のstreetは1音節、日本語のストリートは5音節)を単位とすると情報量が極端に少なくなる。だから、一般に日本の歌の歌詞の情報量は非常に少ない。民謡や古い唱歌~歌謡曲のまだるっこさはここにあると思う。しかし、歳がいくとそのまだるっこさが味わいに感じられるから不思議だ。
若い頃は「思い出のメロディー」的な番組の存在理由が生理的に理解できなかったが、この頃では「近頃の歌は情緒がない」などと呟きながら、思い出のメロディーの歌が懐かしい。
以上は本日のブログのまくらである。
(まくらの「思い出のメロディーの歌が懐かしい」を受けて・・・・)8月真っ盛り、学生向けの公開授業に参加した時、「心の歴史は歌で伝わる」と万葉学者上野誠先生はおっしゃった。
平城京から越中に国司として赴任した大伴家持、
天平勝宝2年(750)の春・・・赴任して4度目の春、
柳の葉を引っ張って、彼は何を思い出したか、
「2日に柳黛(りゅうたい)を攀(よ)ぢて京師(みやこ)を思ふ歌一首」
春の日に
萌(は)れる柳を 取り持ちて 見れば
都の大路し思ほゆ (巻十九の四一四二)
春の日に
芽吹いた柳を 手にとって 見ると
都の大路のことが思い出されるなー
平城京の都大路には柳、
都の街路樹を思い出した家持、
当時の流行・・・かき眉、
柳の葉のようなかき眉は美女の例え、
柳の葉のようなかき眉は美女の例え、
家持になったつもりで復元された朱雀大路の柳を見てください。・・というのが授業の一こま。
教養のない私などは、先生の解説する万葉歌のひとつひとつの奥深さにいつも驚くだけ。
そして先生は学生に「夏休みに、文学部の学生は恋をして旅に出なさい」と命令。
MBSラジオ毎日曜日朝5時40分からの「上野誠の万葉歌ごよみ」同様、楽しくて心に残る授業だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿