一昨日昨日と、お寺とチャペルと神社に参ってきた。
誤解しないでいただきたいが、宗教や宗派をチャカしているのではない。
それぞれにご縁があって時期が重なっただけで、私としてはそれぞれに感謝している。
そして、この3箇所を巡る中で、月並な言い方だが、音楽は心を癒してくれるなあとしみじみと感じたお盆であった。
その1.お寺での読経。これは比較的若くして父親を亡くした私なので、長く身体に染み付いた馴染の音楽とも言える。
だから、お盆のイメージに直結する形式美の美しさがあり、お盆の行事をやり終えたというホッとした感じを与えてくれる。
哲学ではないこのホッとする感覚が実は宗教なのかもしれないと、近頃思うようになっている。
その2.ミサの聖歌。これはもちろん、小学校から一貫して教えてこられた洋楽だから違和感は何もない。
というよりも、先日、「また会う日まで」のブログを書いてからいろいろ調べてみて気づいたことだが、我が国の唱歌のスタートはほとんどが賛美歌の替え歌であったのだから、感覚としては唱歌である。
そして、歌詞が現代語に近いだけ胸にこみ上げるものもある。
その3.南都の雅楽。ヒグラシが鳴き始めたのを始業ベルのように始まった1300年前のままの音楽。原生林に吸い込まれるような演奏は文句なく心地よい。
余談ながら、西洋では単音の歌唱がようやく始まったばかりの頃に、管楽器、弦楽器、打楽器がリズムとメロディーとハーモニーを奏でていた中華文明とその端っこにいた列島人には脱帽する。
このように、それぞれが私のお盆で、そして心が癒された音楽だった。
私なりに充実したお盆だと思っている。
写真は、その3の「春日大社万燈籠」。舞楽は「万歳楽」だった。
以前から思っていたことですが長谷やんさんがこれほど宗教行事に関心を持っていったとは驚きです。一日に三ヶ所も巡るとはそのエネルギー称賛に値します。小生といえば極々一般的な誰しも知っているようなこと程度の知識しかありません。
返信削除特に神事は地鎮祭程度のもので、キリスト教については映画やテレビで見知っている以外はしりません。
春日大社万灯籠はテレビで歳時記として紹介されているのをみました。
それはそうと15日精華町は時間107mmの雨量を記録したそうですが体験はしなかったのですか?
!茅渟の海さん、こんな話はあまり面と向かって会話をしてきませんでしたが、少し斜に構えて言いますと、私は落ち着いた宗教や宗教家にはある種の尊敬を払っておりますが、一般的に言って宗教行事に知識も関心もあまりなく、ある種の儀式至上主義には頑固に不服従です。
返信削除私は宗教行事の奥にある民族のメンタリティーやそのことが現代社会に投影されている事柄の方に民俗学的興味があるのです。
私は冷徹な唯物論者にして敬虔でかつ極めて寛容な仏教徒でありたいと思っております。
と言う話と支離滅裂に矛盾しておりますが、一番下の写真の上でクリックをしてお笑いください。
こういうスタイルの万燈篭もあるのですか、いいですね。また、夏っちゃんの写真もアップしてください。
返信削除!「ポリシーとして現世利益のお祈りはしないことにしている」と偉そうに言い散らしてきましたが、写真のとおり、孫に代って「原発のない平和な国」をお願いしてきました。
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