2011年2月22日火曜日

臘梅の実は微妙

 私は、上の世代の人々から「近頃の若い者はボキャブラリーが貧弱だ」と嗤われてきた世代に属するが、その我々から見て、食べ物なら「甘い」、見た目なら「可愛い」としか言わないテレビの中の若者のボキャブラリーの貧弱さはなさけない限りである。
 畑の野菜を生で齧って「あま~い」と叫ぶワンパターンの白々しさと言ったらない。
 いやこれは、ボキャブラリーの貧困ではなくて、メディアの貧困なのではなかろうか。大勢順応というか、ことなかれ主義というか、強い者につく蝙蝠根性というか・・(そこまで言うか)。
 以上、前振り。

臘梅の季節は終わった

 『満月臘梅』の実は殻が裂けて実が飛び出すのだが、殻はいつまでも枝に付いたまま1年も2年も残っている。蒴果というらしい。
 今日のブログのテーマは、その様を「可愛い」と書いてある本があったが「ほんとうに貴方はそう思ったの?」と言いたいだけ。
 あの艶やかな「蝋細工のような」花に比べて、余りにくすんだその色と形を私はそうは思わない。
 臘梅の枝に残った蒴果、・・「老醜」というと高齢者差別的に誤解されそうだが、これ(この蒴果)を蛇足と言わずして何と言う。
 しかし、「誰もが見向きもしなくなった殻の持つ美を発見したのが判らないの?」といわれれば、私の前振りは「天に唾したもの」ともう一度嗤われることだろう。
 もしかしたら可愛いかも!と自信がなくなってきた。

2 件のコメント:

  1.  そんなに目くじらを立てるのは年寄りの始まりですぞ、聞き流すが良し!
     さて、「老醜をさらす」という言葉がありますが、かって美しく人目を引いたが故の「後」のみすぼらしい姿の悲しさというものでしょうか、人間は美しいものはその終わりも美しくあってほしいと望むものなのでしょう。しかしこれは頂けません、可愛くもありません、何故か、それは姿形ではなく長く残り過ぎるからです!幕切れの美学を心得るべし、臘梅よ!
    うん?私は何に怒っているのかな。-煩悩の夫より。
     

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  2.  そんなに目くじら立てるのは年寄りの証拠、聞き流すが良し!
     さて「老醜をさらす」という言い方がありますが、かって人目を引くほど美しかったが故に、その「後」のみすぼらしい姿に哀れを感じる、人間というものは美しいものはその終わりも美しくあってほしいと願うものなのでしょう、しかし、これはいけません、姿形ではなく、何年も残るというその姿勢がいけません、美しいものはその幕切れも美学でなければ。わかったか臘梅よ!うん?私は何に怒っているのかな。-煩悩の夫より

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